第339号:大きな声で。
今日は商工会議所の日である。
前回出社したときには、私の気持ちの状態が望ましくなく、
なんとなく、自分自身が小さくなってしまうような感覚がした。
今日も朝からバタバタして、昨日の疲れからか、気持ちが弱くなっている気がした。
眠いし、身体がだるいし、気持ちが前に行かないし、このまま寝られたら・・・、
どんなに気持ちが良いんだろうかと思った。
というわけで、なんとなくグズグズして、ギリギリになって出発した。
車で移動しながら、色々なことを味わえるように、音楽で心震わせた、
左手の儀式と拳の儀式をやって、エネルギーを感じて車を降りた。
そして、声を気持ち大きくして挨拶をした。
元気の良い挨拶が返って来て、少し心が晴れやかになった。
大きな声を出す、背筋をピンと張る、
そうすると段々と心までシャンとするのがわかった。
本当に今日は来客の多い一日だった。
「どんな人が訪れているのか。」
- 不況の中、新たな道を探す人
- 悩みを聴いて欲しい人
- 自分の今やっていることを診断して欲しい人
- 叱って欲しい人
- 助けてもらいたい人
- 足りないものをもらいたい人
- 自分の想いを実現したい人
まさに、人間の想いと欲望のある場所である。
「そこで、私はどんな人間でありたいのか。」
相手の望みをかなえるために、すべてのエネルギーを投入できる人間だ。
時には一緒に笑い、悩み、叱り飛ばしたり、突っ込みを入れたりする。
今日は少しだけ朝に準備したせいか、本当に自分の心が明るくなっていくのを感じた。
自分のハートは自分で守る。
ハートが元気になれば、身体にも力が湧いてくる。
逆に身体で元気さを表現できれば、ハートまで元気になってくる。
今日、商工会議所での時間は、先週と比べて、とても元気になった。
外見的にはあまりあまり変わらないのだが、心から元気になったように思う。
家に帰って、空手に参加した。
まず、宗家訓を唱和して、練習に入った。
黙想して、久々に宗家訓を唱えたのだが、微妙に心の揺れを感じた。
「この心の揺れはどこから来るのだろうか?」
空手にまっすぐに向かえていない自分という意味であり、
何かに意識を奪われていて、100%でない自分という意味でもある。
かなり元気にはなったが、体力的にも、精神的にもまだまだだと思った。
そんな私の状態を尻目に、耕がいままでの耕と違っているのに気がついた。
準備運動で大きな声を出し、真剣なまなざしである。
前屈の姿勢が、妙に膝が曲がっている。
空間突きの鋭さ、一本突きの足の動きそのすべてが堂々としていて、
迫力もあるし、私は誇らしく思えた。
正直、もっとがんばらなきゃって思った。
組手の練習に入り、蹴りの練習の時に、太田師匠が思いっきり誉めてくれた。
そこから、私のハートは生き生きとし始めて、やっと気合が入った。
誉められると人は元気になれると言うのが、良くわかった。
夜はコーチングセッションを受けるのと、会計事務所との打合せをした。
正直、色々なことで愚痴の塊のようになってしまい、
自分の自己イメージとのあまりのギャップにつらくなってしまった。
おまけに、先日から楽しみにしていた出版物の原稿が、
古い物が最終的に使用されていて、妄想の女王のクレジットが抜けていて、
つらくて、くやしくて、仕方が無くなった。
というわけで、今日は本当に支離滅裂な1日になってしまった。
その都度、軸が抜けてしまい揺れ動く自分を基に戻したいと思った。
今日も自分を承認してみる。
「今日は、この心の揺れを許してあげたい。」と言ってみた。
「そう、ゆっくりその感情を味わってごらん。」と返って来た。
何もかも許せない自分がいるけど、人の想いだけは大切にして言いたいです。
今日もありがとうございました。
こんな私だけど、許して欲しいです。
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