第242号:欲。
今日は早朝ミーティングからスタートした。
昨日調子が悪かったので早く寝たのだが、やっぱり朝は眠い。
でもなんとか起きだして、出かけることが出来た。
昨日から続いている心の震えと、突然涙が出そうになる現象は続いている。
ちょっとミーティング中に苦しいシーンがあると、グボッとその辺りに何かが差し込まれる。
そうすると目頭が熱くなってくるのである。
もちろん、そのグボッと来るものにはいろいろなものがあった。
「グボッと胸に突き刺さるものは、どんなものなのか。」
- 自分の能力や行動等の至らなさ
- あきらめや不安
- 人が変化しようとする姿
- 私に対する思いやりの心
- 前向きな想い
結構、何でも刺さる。
といっても、泣き崩れるほど泣かそうとすると、そんなに簡単なわけではない。
秋だからセンチメンタルな気分になっているのだろうか。
最近、師匠の社長が夢と想いが満々としていて、会うたびにその姿に私は胸を打たれる。
今日も社長がきらきらと輝いていて、なんだか、オーラが変わったように感じた。
それでいて、しっかりと低く、地に足がべったりと着いていて、軸が太くて、
誰がけっても、殴っても動かないような強さを感じた。
社長が言った。
「縁は作るもの。」
人の縁が広がるかどうかは、縁を作るという明確な意図があるかないかだ。
結局のところ、良いお付き合いをしようと思って話をしているかどうかなのだ。
相手に関心を持って、その人自身味わうように話を聴く。
そうすれば、かならず縁は作ることが出来ると思った。
今日はそういう面で、営業を2件実施したのだが、ちょっと前のめりになってしまった。
縁は作るものと解っていながら、こちらからのプレゼンテーションが強くなってしまう。
解ることとできることの違いを強く感じた。
今日一日を過ごして感じたのは、「欲は限りない」ということである。
「これを満たしたい」と思って満たしてやると、次の「これを満たしたい」が過たず出てくる。
そして、今度はそれを満たすために必死になってくる。
それだけでなく、一つ満たしてやることで、他の「これを満たしたい」がたくさん出てくる。
以前、O乳業で働いていたときの最後の課長がよく言っていた。
「弁当持たしゃ食いたがる、弁当食べりゃ眠たがる。」
おっしゃるとおりだと思う。
この欲というのはいわゆるニーズと呼ばれるものであり、そこが刺激されると、
本来の自分でいられなくなるポイントであり、そして、その状態だ。
「自分をどのようにコントロールしたらいいのか。」
- 自分が何に弱いのか知って、適度な距離を持つ
- 自分に起こっている感情をしっかりと味わう
- 客観的、かつ、俯瞰的に自分を見る
- 自分の想いを深く、熱く感じる
これが、心の傷の部分に入ってくるととてもつらい。
でもよく考えてみると、心の傷って・・・。
これって、想いのこと・・・!?
心理学ではトラウマと呼ばれて、何らかの経験により本当に深く刻まれたものである。
誰もが多かれ少なかれ、こういった過去の経験を積みあげることで自我を形成している。
赤ちゃんのときのまっさらな状態から、いろいろな色を塗り、よろいをかぶって、
今の自分のカラーやトーンを創り出しているのだろう。
私の場合は、今気がついたのだが非常にたちが悪い。
この想いの部分と、欲の部分と、心の傷の部分が非常に近接していて、
ある一定の要件を満たすと、ぐちゃぐちゃに混じり合って分別がつかなくなるのである。
そして、自分がコントロールできなくなる。
こんな自分がいることを認めてあげたいし、そんな自分を可愛く思ってやりたいし、
そんな自分を急に変えることなんかできないのである。
もっというと、その想いを実現していくことこそが、人生の意味であり、
私が生きている理由なのだから。
でも、人に迷惑は掛けないようにしないとね。
今日も自分を承認してみる。
「自分に正直に、自分を許し、受け入れてあげることが出来たね。」といってみた。
「しっかりと自分の想いを感じ、おにコーチとして存在できるようになれ!」と返って来た。
ひとりひとりの想いを感じ、生きるしあわせを創ること宣言して言いたいです。
今日もありがとうございました。
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