第132号:あばら骨。
朝起きると、昨日寝る時よりあばら骨の状態がやや良くなっているような気がした。
ただ、起きたり、転がったり、咳をするなどの動きがあるときには、より強く痛みを感じる。
とにもかくにも、早朝ミーティングに向かった。
起きた時は和らいだと感じていた痛みが、強くなっている。
打ち合わせをしていても、体が震えだすほどである。
なので、仕事中にもかかわらず、「あいたっ」と小さい悲鳴をあげてしまったり、
場合によっては、「痛いんですよ」とわかってほしい発言をしてしまったりした。
とはいっても、すぐに痛みがなくなるわけではなく、ただただ我慢するしかないのである。
そんな時、気を遣って声をかけてくださる人の気持ちが本当にうれしくて、
どう答えたらいいのかと悩んでしまう。
もっというと、自分はいつも人の気持ちや体の状態を本当に理解して対応できているか、
心配になってしまった。
ついつい、忙しいとか、自分がするべき仕事に気を取られてしまって、
今の私のような状態にある人に対して、理解して、
その痛みや不安を取り除いてあげられているのだろうか。
もう一度、しっかりと問い直してみたいと思った。
午前中に、近くの安藤整形外科に行き、レントゲン写真を撮ってもらった。
結果としては、軟骨の部分が折れているのだろうということであり、
どうやらはっきりとは、折れた部分がレントゲン写真には写っていないらしい。
でも、触った時のペコペコ感からそのような診断になったのであろう。
「今回のあばら骨が教えてくれたものは何か。」
- 目に見えない気持ちまで察することの大切さ
- 気持ちを受け止め、安心を生み出すこと
- 心頭滅却すれば火もまたすずしである。
- でも、体には十分配慮してあげなければならない
めったにないことなので、“ただ”では転ばないの精神で、少しでも多くの気づきを得たい。
それにしても、笑ってもいたいのは困る。
いい事をしても痛いのだから、それこそ何にも出来ない。
ただ目を閉じて、仕事やプライベートの良いイメージを作っているのが一番楽しい。
いわゆる、妄想ってやつか。
そういえば、最近妄想するほど、こんなことが起こってほしいということがない。
仕事のほうでも小さく縮こまってしまっていて、枠ができてしまっているのかもしれない。
考えられる時に、しっかりと考えてみよう。
「自分の体のことを大切に思って、仕事を休み、病院に行けたね。
「それが、自分のお客様や関係者、そして、家族のしあわせにつながっているよ。」
こんな承認をしてみると、
「もっと、もっと、生きるしあわせの渦を広げるために何ができるか。」
という前向きな言葉が返ってきた。
早く、コーチングを活用した様々なセミナーを展開したいと心から思った。
しあわせな世界を妄想しながら、言いたいです。
今日もありがとうございました。
また来てくださいね。
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