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第231号:絶対できる。

昨日までの3日間、なんとなくネガティブな内容のブログになってしまった。
今朝そんなことを感じながら車を走らせていると、
久々に自分の想いのようなものがグッとこみ上げてきた。
その声は、次のように言っていた。

「あきらめるなよ。絶対に出来る。」

そこで愛しいクライアントの顔が次から次へと浮かんだ。
みんな、笑ったり、おどけて見せたりしているけど、
寂しかったり、不安だったり、怖かったりといろいろなことを感じながら生きている。

そういう私も、全く同じである。
絶好調で、偉そうにどんどんにしゃべりたいときもあれば、
青菜に塩という感じで、打ちひしがれて誰かに励ましてもらいたかったり、
ただただ、じっとそばにいて話を聞いて欲しかったりするときもある。

このメッセージは、コーチとしてクライアントに対して熱く語りかける言葉だったのだが、
今日の感覚としては、自分自身に対して、大丈夫だと言い聞かせている感じがする。

右手で左の首元をつかんで、ひじを胸の付近に押し当てて、
「大丈夫。きっと出来る。」とつぶやいてみると、胸の奥がジーンと震える。
この胸の奥のジーンという震えの中に、同じ言葉がこだましている。
そういえば、最近、あきらめかけているのは自分自身だと思った。

「何に対してあきらめを感じているのか。」

  1. コーチングのアクティブリスニングのレベルアップ
  2. コンサルティングサービスの標準化と教育
  3. 多くの人と仲良くなるために自分の心の壁を取り除くこと
  4. 情報力の強化

こんな風に見ていると、自分が今まで問題として取り上げてきたことばかりである。
現在、具体的に取り組んでいることは1.2.であり、仲間の協力もと進めている。

4.については相変わらず、十分な打つ手がなく、壁の前で立ち尽くしている感じである。
師匠と会話をすることで、新しい情報やそれの見方、考え方が身についている気がする。

さらに、3.については、その中でも自分にとって最も重要なことであるにもかかわらず、
意識的に取り組もうとしていない。
というか、かなり出来るようになっているが、ある一定のパターンで心が弱くなり、
自分らしさを失ってしまうということが起こっているだけのような気がする。

「何かが変わってきたような気がする。」

以前は、出来ない自分と戦い、できる自分への変革を遂げてきたが、
少しできるようになった自分が更に大きなものにチャレンジしようとしているのだと思った。
周りの人がみんな応援してくれているし、一緒に走るパートナーもいる。
みんなが熱いハートを持っている。
私はパートナーも自分も信じている。

「絶対に出来る。」

というか、「やってみせる。」

そんな中で、自分自身がどうあるべきなのか。
今一度、自分が取り組む、ビジネス、スキル、マインドを整理して、
再度、参るストーンとしてゴール設定をしてみたいと思った。

ご報告になるのだが、岡山大学インキュベーションセンターへの入居がほぼ内定した。
予定通り計画が進んでいる。
気合を入れて、真剣に取り組みたい。
本当にありがとうございます。

鍛える師匠は、私の代わりに今日東京でHCDについての情報収集を行っている。
明日はその報告も聞ける予定なので、本当に楽しみである。

今日も自分を承認してみる。
「あきらめをなくし、生きるしあわせを創る方向に向かって確実に歩いているね。」
と言ってみた。
「間違いないよ。次の意図する結果を準備してみたら・・・。」

自らが、「絶対に出来る!」という、燃えるようなハートをもって言いたいです。
今日もありがとうございました。
エヌティ・クリエイトの新規事業に是非ご期待ください。

第230号:あり方。

今日は昨日早く寝たので、今日はわりと早く目が覚めた。
なのに、ちょっと布団からは出ることが出来ず、PCをつついたり本を読んだりした。
なにか心の中に引っかかるものがあったようである。

「私の朝は、本来どうなったらいいのだろうか。」

  1. 起きたときすがすがしく晴れ渡っている。
  2. 自分の想いを静かに感じて、ハートの奥が熱くなる。
  3. 自分の存在意義、あり方、そして、プレゼンスを感じている
  4. 自分自身を信じ、信頼し、大好きである
  5. 今日一日に期待感を感じる。

なんか、最近自分のことが好きではないらしい。
先日大阪から帰ってきて数日間のうちは、本当に自分のことが大好きで、
「一生こんな風に生きられたらしあわせだな。」って思っていたが、
ちょっと心にもやがかかっているような気がする。

「このもやは何で出来ているのか。」

  1. 仕事の進捗状況が遅いこと。
  2. ある人間関係。
  3. 自分の我が強く、相手を感じきれないことによる自己不信感

そういえば、今日ある方から、
「西田さんは結構、自分がどう見られるのか気にしてるよね。」といわれた。
そうかんがえていると、
自分のあるべき姿のレベルが高すぎて、現実とのギャップにがっかりしている。
ということが出てきた。

ありたい自分もいいし、そうなるためにしっかりと生きればいい。
でも、その前に、あるがままの自分ももっと感じてみたいと思った。

肩に力が入ってなくて、自分のニーズではなく、想いを胸の奥で感じている。
目の前に起こることを自然に受け入れ、味わい、表情は変えることなく聞ききっている。
私らしさでもある誠実で、澄み切ったハート、そして、瞳で見つめる。
そして、相手をまっすぐに信じ、しあわせに生きることを熱く感じる。

ここまで書くと、あるがままの自分よりちょっとレベルが高すぎるのかもしれないが、
この中でも、自分の想いをしっかりと抱きしめていることが何より大切だと思った。

今日は、中小企業基盤整備機構のかたとご縁が多くあった。
農商工連携の関係の方、そして、地域力連携拠点事業の担当者の方と、
専門化派遣事業の方の3名であった。

特に、農商工連携と地域資源の現在の申請状況や、そして、承認の難易度の推移は、
私にとって興味深いところであり、今後のセミナーでまたお伝えできるのが楽しみである。

あと、うれしい知らせが入ってきた。
また完全にオープンになったら、お知らせさせていただきたい。

夜は会計事務所の貴公子と打合せ。
といっても、四方山話と彼の税理士試験に合格して欲しいという話し、
それから、私の自慢話と愚痴を聞いてもらった。
本当にありがたかった。

この心のもやも、ひょっとしたら、最近コーチをつけていないところから来ているのかもしれない。
そうもう一度、検討してみたい。

また、寝る前に本当にうれしいメールが入っていた。
なんか、静かで穏やかな気分になった。

今日も自分を承認してみる。
「自分が立っているその場その場で、怠ることなく、ベストを尽くしていたね。」といって見た。
「流れに逆らうことなく、自分のあり方をもっと見つめてみたら。」と返って来た。

大きな人生というプロセスの中で、じたばたしないで、ありのままの自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第229号:承認。

今日は早朝ミーティングの日だった。
昨日の夜のセッションの余韻と、少々寝不足を感じながら目を覚ました。
ブログを書いたりしていると、結局、朝の出発がギリギリになってしまった。

昨日は否定というテーマで、ブログを書いたのだが、
そういえば、最近誉めるということや、承認するということを、
あまりしなくなったような気がする。

本来、コーチとしてはもっとも大切なスキルであるはずなのに・・・。
承認するということを、ちょっと脇においてしまっているのである。
もちろん、全くしていないわけではない。

「何が承認することの邪魔をしているのだろうか。」

  1. 自分の行動することが全てという信条
  2. 自分が相手の立場や背景まで配慮できていないこと
  3. 自分の相手をコントロールしたいという気持ち
  4. 自分の相手への思い込み
  5. 自分の落ち着きの無さからくる受け止めていないこと

このように見てくると、自分のフィルターによって、
相手のコアな部分を聴ききれていないことが、最も大きい理由であると感じた。

必ず人にはその人の望んでいることがある。
そのことが実現されることはその人にとってうれしいことだし、
コーチという生き方を選んだ私にとってもうれしいことだ。

でも、組織として活動するということは、成長を期待され、
組織が求める成果に対して責任が発生しているわけである。
単に本人が自由に生きることだけが目的なのであれば、ちょっと問題があるように思う。

その本人自身と、役割の間に生じるその問題に対して、真剣に取り組む姿勢があるかどうか。
そして、その組織にいることが本人のしあわせにつながっていないのであれば、
別の道を選ばせてあげることも、コーチとしての仕事であるように思う。

結論としては、私は「協働により生きるよろこびの創る」人であり、
世の中からあきらめをなくすことが私の使命なのである。

だから、私はまっすぐ相手を信じて、全てを受け入れ、聴き切る.

この姿勢をもう一度確認したい。
その人が本当に大切にしていることを発見し、伝えた上げられたときのその表情が蘇った。
その感動をいつも感じていたい。
そうすれば、必ず承認の心がもっと強くなるはずである。

今日も自分を承認してみる。
「本当に、相手の命を膨らませるようなコーチになりたいんだね。」といってみた。
「そう、それは間違っていない。」
私もそうだが、「誰一人として間違っている人はいない。」のである。

一人でも多く、深く、そしてそれが一瞬であっても、
目の前にいる人の望むことを感じて、承認してあげたい。
今日もありがとうございました。
本当に感謝しています。

第228号:否定。

昨日は疲れのせいか精細に欠けていたのだが、
今日はある程度しっかりと睡眠も取れたし、普段のリズムに戻せたような気がした。

でも最近ネガティブなメッセージを多く使っている自分に気がつき、
コーチという生き方を選んだ者としていかがなものかと立ち止まり、振り返ることが多い。
質問するときも、ついつい、「なぜ出来なかったの?」という問いかけがしたくなる。

コーチングで言う質問の種類というのがある。

  1. 拡大質問と限定質問
  2. オープンクエスチョンとクローズドクエスチョン
  3. 未来質問と過去質問
  4. 肯定質問と否定質問

というあんばいである。

それぞれに説明したいところであるが、先ほどの「なぜ出来なかったの?」
という問いかけは、拡大質問で、オープンクエスチョンで、過去質問で、否定質問である。
通常のマネジメントの中では、もっとも多く使われ、かつ、相手を萎縮させる質問である。
そのうえ、「なぜ+否定形」は、いわゆる詰問ということになる。

あと、フィードバックという概念がある。
これは、コーチングの中でも、特に重要なスキルであると思う。

CTPでは、3つの方法があり、うち1つは良くない方法、うち2つがよい方法とされている。
そして、相手をほめたり、その存在を肯定する承認というものがあるが、
こちらも、前向きなフィードバックのメッセージと捉えることが出来る。

  1. Iメッセージ:私は~~~と感じる
  2. YOUメッセージ:あなたは~~~だ。
  3.          ここでポイントとなるのは、
             ○あなたは、~~~(事実)をしました。
             ×あなたは、~~~(忠告、評価、批判)である。

  4. WEメッセージ:あなたのおかげで、私たちは~~~になった。

もちろん、これらのフィードバックをするときにも、枕詞をつかって、
「今感じたことを行ってもいいですか。」というような前置きをしてから伝えるのが作法である。

CTIだと、反映のスキル、認知のスキル、比喩のスキル、俯瞰のスキルなどである。
これらが厳密に区分されているのではなく、組み合わせとなる。
ここでは、具体的な説明は避けたい。

あるところで、あまりに変化が見られない人に、強いフィードバックをしたら、
否定や非難されていると感じたというフィードバックを受けた。
今までにもこのような例が何度かあったが、いずれにしても共通しているのが、
組織と個人の間での役割があるからこそ起こる問題であったように感じる。

会社の目的・目標に向けたコミュニケーションをしていると、
どうしても個人のニーズが立ち上がり、そちらのほうへ話しが終始してしまう。
だらだらとどうでもいい話になってしまう。
中断&反映や俯瞰のスキルでフィードバックするもそれが逆効果になってしまう。

いわゆる目的コンフリクトという状態である。
このような時には、会社の目的や目標を明確にして、それに沿った方向に軌道修正する。
なぜならば、その会社にとってその人がいる意味があるからだ。
ひどいケースになると、目的や目標に対して「そんなの知らん!」と言うこともある。

逆に個人の立場からすると、今その場で感じたことを口にしているわけだから、
その人にとっての真実であることに間違いはない。

その言葉の裏側にあるもの、そこにエネルギーを集中して聞かなければならない。
その時、自分の物の見方や捉え方、そして、コーチにニーズが立ち上がっていないか、
そこを検証してみる必要がある。

私はコーチという生き方を選び、企業内における目標管理コーチをやりながらも、
コーアクティブコーチとして、協働のよろこびを生み出していく決意をしたわけである。

「誰一人として間違っている人はいない。」

このルールをもう一度心に刻んで、活動していきたいと思った。
きっと、その人のその時の状況や、自分を守りたいという衝動が現れているから。
それは、その人にとっての真実であり、起こっていることは私にとっての事実だから。

私は自分に“おにコーチ”と名前をつけている。
これは、自分の想いや会社の目標など、その人の大切なことは、
自分で責任を持ってやって欲しいと思いの表れなのである。
だから、厳しくありたいし、出来ていなかったら出来ていないといってあげたい。
そうすることが、組織や個人のよろこびにつながるから・・・。

そういう面では、フィードバックのスキルも、もっともっと信頼関係をベースとして、
厳しいながらも、愛のあるもので、かつ、受け取りやすく出来るよう改善したいと思った。

やっぱり、否定ではなく、相手の全てを受け入れるような愛が大切だ。
愛を感じたら直ぐに口に出したり、メールに書いたりして、その人に届けたい。
それは、相手への愛のメッセージでもあり、同時に自分自身への愛のメッセージにもなる。
その満たされるやすらぎやよろこびが広がって、しあわせな世界が広がるように・・・。

今日も承認してみる。
「本当にしあわせを願って、おにになれていたね。」といってみた。
「愛が足らん。もっと熱いハートで・・・」と返って来た。

相手を包み込み、自分を暖め、世界をとろけさせるくらいの愛を持って言いたいです。
今日もありがとうございました。

第227号:疲れ。

昨日までの1週間で結局、外でのお酒が7打数4安打。
家で龍の誕生日までいれると、7打数5安打。
と飲酒の打率が久々に高い状態となった。

正直言って、そんなにお酒が好きで仕方がないわけではないので、
こんなことになるのは珍しいのである。
しかも、飲まなきゃいいのに、おいしいからなのか、
飲みたい気分だからなのか解らないけど、とにかく、がぶがぶと飲む。

まいっか・・・という感じで。
最近ダイエットもしているのに、思いっきり飲んでしまった。
久しぶりに、昨日は帰りの車の中で、気を失うくらいの状態になった。

結局、今日は毎週楽しみにしている商工会議所の日であるにもかかわらず、
朝から眠いし、相手の気持ちもあまり感じられないというような状態であった。

「私は何に疲れているのか。」

  1. 早朝からのハードワーク
  2. 仕事や家族などの将来の不安
  3. 自分のありたい姿とのギャップから生じる嫌悪感
  4. 受け入れてもらえない寂しさ
  5. 一週間の飲みすぎ

確かに、仕事や飲みすぎの疲れもあるけど、
メンタル的にも非常に疲れた感じがする。

本当に人恋しかったり、人と会って話がしたかったり、
何かをしてあげたいというよりは、求めている感じがした。

自分のことを聴いて欲しいし、自分のことを解って欲しい。
こんなことやってて、こんなことが楽しくて、これからこんなこともやろうとしている。
それから、こんなことも悩んでいるし・・・。
私にとって大切な話がたくさんある。

私は、コーチという生き方を選び、人の話を聴くことを目標に生きているのだが、
正直少し疲れたのかなと思った。
先週のCTIの研修の効果が出すぎて、思いっきり聴くことを意識しすぎて、
少しバランスが崩れたのかもしれない。
こういうときは、ちょっと静かに、受身を取るがごとくいるのがよいかもしれない。

今日一日は、商工会議所にいても少し静かに、
人と会っていて自分の我が出そうになるので、じっと味わって、
顧客のところに行ってもあまり突っ込み過ぎないように静かに受け止めていた。

そして、夕方空手に行ったのだが、めちゃくちゃ空手の上手な中学生の女の子が、
一言だけアドバイスしてくれた。
なんか、まん丸な瞳が笑顔になったので、私も一緒に笑顔になった。
心が透き通っていくような感じがした。

たぶん、思い切って声を掛けてくれたんだろうなって思った。
大人の私がもっと気さくに声を掛けられたらいいんだけど・・・。
アドバイス、ありがとう。

というわけで、明日は一日びっしりなので、しっかり自分をコントロールしたい。
そのためにも早く寝よう。

今日も自分を承認してみる。
「自分の状態に気が付き味わいながら、自分への対応が出来ていたね。」といってみた。
「もう少し、自分を甘やかせる方法を使ってみたら。」と返って来た。
やっぱり、いつもまじめに働かなきゃって思っているんだということが解った。

自分のことが大好きで、しっかりと人を受け止められる懐を持った自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

追伸
明日は先日完成した原稿の入稿と、写真撮影です。
「温かい表情の西田さんがそのまま映しだされますよう・・・。」
とお言葉を頂いたのですが、温かい表情で望みたいと思います。
ご協力いただきました皆様、ありがとうございます。

第226号:青年部活動。

今日は朝から倉敷三斎市の応援に行った。
よく考えてみると昨年6月に青年部に入り、8月に応援に行ったのが始まりだ。
つまり、青年部活動も約1年が経とうとしているのである。

というわけであるが、寝坊してしまったため、
6時集合のところが、本当にぴったり6時になってしまった。
昨日の大喧嘩の理由になったポケモンのぬりえのコピーを取って現地入りした。
妻がたまたま起きてくれたので、作業してもらいながら、出発準備が出来た。
昨日喧嘩したにもかかわらず、うれしい。

現地に着くと、皆が集まり準備が開始されたところであった。
私は松岡修三や植田裕子さんのような、
熱く、澄み切った心が感じられるプレゼンスでその日は過ごしたいと思った。

現地では、元気でにこやかに過ごす中にも、なんか足りないと思い始めた。
というのが、この三斎市に関係するようになってから、
三斎市に対していろいろな意見が急に入ってくるようになったからかも知れない。

想いが強い人と話しをすると、こちらの話しが届いていないような気がする。
逆に想いがない人と話しをすると、なんか空虚な感じがする。
何のために、このイベントに参加して、どんな意図をもって行動するのか・・・。
そして、私の存在している意義は何なのか・・・。
ちょっとした事でいいから、胸の奥に熱いものをもって欲しいし、
自分自身も持ちたいと思っている。

そうしていると、運営組織のあり方そのものも考える必要があると思った。
共通目的、貢献意欲、コミュニケーションのこの3点がそろわない限り、
組織の成立、存続は難しいのである。

しかもこの共通目的、もっというと、目標の元に人々が参加し、
イベントについてのコミュニケーションが行われないと、訳がわからなくなってしまうし、
前向きな想いを摘み取ってしまうことも起こってしまうのではないだろうか。

かくいう私も、この活動に対しては、
自分が本当にしたいビジネスに影響が出ない程度にしか取り組まない。
今は青年部活動にどっぷりと漬かるステージではないと考えているからだ。
そんな中、本当の青年部、あるいは、三斎市のあるべき姿はどうなるのだろうか。
各々の立場から視点が全く異なるのだが、これらを総合して、
新たな答えを出すべきところに来ているのかもしれない。

私は朝から食事もせずだったので、へろへろになりながら帰宅、ブログを書いて、
そうこうしていると、親戚が来て、夕方は師匠の家にBBQをしに行った。

師匠の奥様、娘さん、そして、ルーツともいえるお母様にもお会いできて、
本当に楽しい一日の締めくくりとなったが、夕方暗くなると蚊がすごくて帰ることになった。
子供たちも、大自然の中で、本当によろこんでいたようだった。
わたしも少しだけ深呼吸したような気分だった。

夜は愛しきクライアントからクレジットの入ったブログを読んでの感想が届いていた。
自分の今まで勉強してきたことや、一生懸命に取り組むこと、
そして、人の役に立てることへのよろこびが書き綴られていた。

愛しきクライアントの大きな主題が少しずつ姿を見せ始めているのが、
私にとっては何よりうれしい感じがした。
「もっともっと、みつけてごらん。」って言ってあげたい。
今日もいろいろなことがあったけど、とりあえず終了。

今日も承認してみる。
「今日も自分に負けることなく、想いを感じながら、笑顔で一日過ごすことが出来たね。」
といってみた。
「もっともっと、足の先からつま先まで、全身全霊で感じてごらん。」って返って来た。
結構、もう一人の自分が、自分に対して一番厳しかったりして・・・って思った。

みんなの大きな主題を育て、その想いを結び、生きるしあわせを創る私で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第225号:推敲。

今日は朝からゆっくりと置き、未完了である原稿が気になりつつも、
布団の中で本やPCを見ながらごそごそしていた。

依頼された原稿の作成に取り掛かろうとしていたとき、
なんとなく、大きな主題と小さな主題というコーチングの基本的な考え方が浮かんだ。

今回は、「仕事の満足度を高めるために。」ということだったんだけど、
どうしても、単に仕事だけの話ではすまないような気がしたのだ。

キャリアカウンセリングの理論にキャリアアンカーというものがあり、
近年、アセスメントシートなどを使用した方法で、かなり活用されているようだが、
なんか、型にはまっているようで心地が悪い。
ウィキペディアによると下記のように書いてある。

アメリカ合衆国の組織心理学者エドガー・H・シャインによって提唱された概念。
人が自らのキャリアを選択する際に最も大切な(犠牲にしたくない)価値観や欲求のこと、
また、周囲が変化しても自己の内面で不動なもののことをいう。

シャインは主なキャリア・アンカーを「管理能力」「技術的・機能的能力」「安全性」「創造性」
「自律と独立」「奉仕・社会献身」「純粋な挑戦」「ワーク・ライフバランス」の8つに分類した。

  1. 管理能力:組織の中で責任ある役割を担うこと(を望むこと)。
  2. 技術的・機能的能力:自分の専門性や技術が高まること(を望むこと)。
  3. 安全性:安定的に1つの組織に属すること(を望むこと)。
  4. 創造性:クリエイティブに新しいことを生み出すこと(を望むこと)。
  5. 自律と独立:自分で独立すること(を望むこと)。

こんな感じのようだ。
もちろん参考にしていきたいし、素晴らしい理論である。
しかし、私はもっと人間の息遣いというか、しあわせ、楽しみ、恐れ、悲しみなどを、
もっと生々しく聴いてみたし、それが人間なんだ!!って伝えたいのである。

だから、人生の輪と充実感、そして、職業選択と取り組み方について書いた。
私自身も、今この瞬間、100%で魂を燃やして熱く生きたいと願っている。
松岡修三のように、「熱く生きてごらんよ!」とか、「あきらめんなよ!」って叫んで、
海の中に飛び込んだり、思いっきり走り去ったりしてみたい。
馬鹿だね。

というわけで、何とか書ききることが出来た。
でも、問題はここから始まる。

今回は、鍛える師匠と可愛い師匠、愛しいクライアントに原稿の添削をお願いした。
まず、送付後に私が読み返してみると、めちゃくちゃ文章がねじれてる。
これじゃいけないと思い、修正し再送付した。

基本的に、皆さんから、ぼこぼこになるようなフィードバックがあった。
国語レベルのものから、一番言いたいことのレベルまでいろいろとあり、
私としては、ヒリヒリ、ズキズキ、ジクジクという痛みを味わう羽目になってしまった。

本当に人からのフィードバックは痛いもので、自分は悪くないって、
言い訳したくなるのだが、心は心を静かにしてしっかりと味わうようにした。
たぶん、それでもたくさんの部分に耳を塞いだり、
脳みその奥で思考に落とし込めないものもあったように思う。
修行が足らん。

極め付けが、師匠から最初に送ってくれたやつで校正してたのに・・・。だって。
めちゃくちゃ迷惑野郎になっている自分が嫌になった。
長らく未完了として保持していたものが、一応書きあがったので、
よろこび勇んで送付したのが悪かった。
結論や評価してもらうのを急ぐとこんなことになる。
きちんとしたプロセスとスケジュールを立てルようにしたいと思った。

それでも救いだったのが、今回の内容はエヌティ・クリエイトの理念にもなるので、
本当に良いものに仕上げたいという言葉だった。
これが無かったら、血だらけになって、動けなくなりそうな感じだった。

そして、愛しいクライアントからも、フィードバックがあった。
自分だったらこの文章を読んでどう思うかという愛情を込めたメッセージがあった。
もちろん、一番言いたいことや、文脈について厳しいコメントもあり、うれしかった。

さらに、可愛い師匠からも、非常に細かく、表現という面で修正していただいた。
文脈についても触れてくださったが、内容や伝えたいことは素晴らしいと、
きちんと承認してくれるのがうれしかった。

そして、最後は妻から、いいんじゃない、すごいね、というメッセージオンリーだった。
でもまあ、それはそれでうれしかった。

というわけで、来週の火曜日には撮影となる。
ある学校で生徒さんだった方が始めた美咲という、女性向けフリーマガジンなので、
可愛い師匠からも指摘があったが、少し文章を柔らかくしたほうがいいかもしれない。

本当に本当に皆さんありがとうございます。
おかげさまで、文章を推敲できることが出来ました。
皆さんのよりよいものにしたいという気持ちが本当にうれしかったです。

そして、一つ一つの改善項目に、クレジットを付けさせていただきたいくらいです。
もう一踏ん張り頑張りますので、楽しみにしていてくださいね。

そして、夜、あることが発端となり、妻と父と大喧嘩になってしまった。
結婚してから3回目位だろうか。
自慢ではないが、いつもはほとんど喧嘩はしない。
別に無関心という訳でもないし、よく頑張るなと妻のことを尊敬できるからだろう。

事の発端は、私が不用意に発した言葉からであろう。
カッとして、グーと言う感じで、その瞬間、私には珍しく吼えてしまった。
やはり、ワンクッション何を話すのか、どういう結果に向かっているのか、
刺激にすぐ反応するのではなく、一旦お腹で考えてから口に出すべきだと思った。

今回の原稿の推敲と同じように、出来たと思ってすぐにOKを出す。
人に迷惑をかけるというのと、似ている事例だと思った。

今日も自分を承認してみる。
「恐れることなく人に意見を求め、そして、その意見に素直に耳を傾けられていたね。」
といってみた。
「もっと修行が足らんし、もっと十分な状態で見せるようにしてみたら。」と返って来た。

謙虚に人の言うことに耳を傾け、少しでも学びを大きく出来る自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。
これに懲りずにまたお付き合いの程、宜しくお願いします。

第224号:お盆。

今日はめちゃくちゃ朝だらだらした。
そんな自分にもOKを出す覚悟でとにかくだらだらした。
簡単にいうと、寝たり起きたりしていたのだが、1Fに降りたのが10時くらいだった。

昨日から、妻や息子たちとの交流も深くなり、とてもしあわせな気分である。
今日はお盆の最終日であり、送り火の日である。
世の中よく出来てるなって思うのだが、このような季節行事があると、
家族って大切だとか、一緒に生きていられるのが本当にしあわせだと感じる。

こんな日であるお盆というと、死者の霊が家に帰ってくるというイメージだが、
本当はどんな儀式なんだろうかと思う。
ウィキペディアによると、下記のようになる。

盆の明確な起源は分かっていないが、1年に2度、
初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事があったが、
(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残との説がある)
初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、
初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったもの。

ということだそうだ。
うれしいことが重なることや、忙しい様を言う言葉に、
「盆と正月が一緒にきた」と言うことがあるが、この辺りから由来しているのだろう。

今日はというわけで、家族との時間をたっぷりと味わうことにした。
午前中は、大切なメールと未完了の原稿の作成。
昼からは、耕をつれて会議所、法務局、産業振興財団、そして、
ミヤマクワガタがいないかなと思って、足守付近の木を蹴飛ばして歩いたが、
全く捕まえることは出来ず・・・。

昨年、井原のぶどう屋にいった時に、美星町のほうへ北上したところで2匹捕まえた。
今年もブナ林を見つけて、挑戦してみたいと思った。
昨年見つけたのが、たまたまだったのだろうか・・・。

夕方は、耕の協力でマスカットスタジアムまでジョギングした。
耕は自転車、私はジョギングだった。
昨日より、スピードが上がるようになった気がした。
明日はもっと早く走れるようになりたい。

夕方は、家族全員そろっての夕食だった。
叔父さんが持ってきてくれた鯛を塩焼きにして、野菜のてんぷらを頂いた。
かなり、スッキリとした食事であり、体調がよくなりそうな気がした。

夜は、おかんきをした。
家族全員で仏壇に向かって手を合わせて、読経する。
終わったら、みんなでお茶を飲みながら、お菓子を食べながら談笑する。
92歳のおばあさんから、2歳の龍まで、お互いの顔を眺めながら・・・。
生きてるし、しあわせだねって。

本来、この後、お供えを船にのせて、送り火と呼ばれる儀式をするのだが、
最近は船を流したら公害になるということで、ゴミに出すようになってしまった。
結局は、家族で顔をあわせて会話をすることが、何より一番大切なんだと思う。

「この行為には、どのような意味があるのだろうか。」

難しいことは解らないが、祖先に感謝することだろうか。
祖先だけではなく、両親やその上の祖父母もしかりである。
祖母も歳をとれば、話しをするのも訳が解らんことを言うので、面倒になったり、
毎回同じ話しをするので、つまらないと思ったりするのである。

でも、その人がいたからこそ、私たちは生きているのだ。
その人たちが一生懸命に家族を思い、子供を作り育てたからこそ今の自分があるのだ。
ごくごく当たり前のことなことであるのだが、
このことをしっかりと受け止めて生きている人は限りなく少ないように思う。

自分が生きていることをより肯定的に正面から受け止める。
そうすると、自然と家族や周囲への感謝や思いやりの心が育まれるのだろう。
おかんきの途中も、龍は走り回り、耕はだらっとしていたが、
尻を叩きつつも家族の温かみに触れた一瞬だった。

こういったことを、平気でなくしてしまう傾向があるが、
我が家では家族の対話を作る一つの機会として捉えてずっと続けて行きたいと思っている。

今日も自分を承認してみる。
「全ての愛する人のために、その人を深く感じ、その人のために心を尽くせていたね。」
といってみた。
「そう、私が生きていることを、より肯定的に捉えられるようになってきたね。」
と返って来た。

祖先に感謝し、生きていることに感謝し、
時を同じくして生きている人に最高の瞬間を提供できる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

第223号:一緒に踊る。

今日は午前中の経営革新計画のヒアリングだけなので、ゆったり気分だった。
でも良く考えると、準備したほうが良いことがたくさんあって、
急いで準備を開始した。 

先般、担当者の方から経営革新計画の数値計画が大きすぎて、
審査会に参加する中小企業診断士の先生が、
こんなに上手くいくとは思えないと言いそうなので変更したほうが良いのでは・・・、
という感じの意見があった。
そのため、ビジョンや目標を小さくする計画を立てた。

それから、HCDやペルソナ手法に関する資料を本当に簡単にまとめた。
なぜかというと、これから中小企業の方や協力してもらいたい方に伝えることが
非常に難しいと感じているため、説明用資料が必要であると判断したからである。
時間がなかったので、文章オンリーの解りにくいものができてしまったが、
これから徐々に改善して行きたい。

という訳で、午前中は財団からのヒアリングを受けた。
今までの家族経営のいい加減さが、ヒアリングを受けていくことであぶりだされた。
経営コンサルタントなのに・・・少々つらい感じがした。
立場変わればという感じである。

そんなネガティブな感覚を感じると同時に、
今日来てくださった2人はある意味経営診断のプロフェッショナルなわけである。
こうやって自社の経営について語る時間があり、意見や問題点を言ってくれるのは、
本当にうれしいし、もっというと、楽しい感じもした。
ありがとうございました。

それから、午後は姪のなっちゃんが来た。
それなのに、なんとなくだが、昼から私の機嫌は右肩下がりだった。

「今振り返ってみて、何が起こっていたと思うか。」

  1. 締め切りギリギリの原稿が書けていないことへのあせり
  2. 耕と龍のはちゃめちゃな遊び方へのイライラ感
  3. 今日の夕方の飲み会に行きたくない気持ち
  4. 体を動かしていないことでフラストレーションが溜まっている感じ
  5. 上記のことが一遍に存在していて、その場にしっかりと存在してない

未完了の山の中で、100%で生きていない自分が見えてきた。
生きるということを、怠っている感じもする。
そして、それはその場の空気を壊し、子供たちを萎縮させ、
自分自身の気持ちも悪くしてしまっている。
そこに自分がいることが、百害あって、一利なしである。

そんな流れの中で、耕と一緒に近くのマスカットスタジアムに遊びに行くことにした。
上記の未完了を少しでも解消するために、私はジョギングで、
耕はジョギングが嫌みたいなので、コマをはずしてのれるようになった自転車で、
行くことにした。

マスカットスタジアムにいってみると、本当に耕と久しぶりに向き合えた感じがした。
ターザンのようにぶら下がって滑る遊具のところで、うれしそうに弾ける笑顔が印象的だった。

こちらに滑ってくる耕の背中を手で押さえて、思いっきり背中を押してブリをつける。
そして、少しでも遠いところへ戻って飛び降りる。
そして、もう一回と言う感じで、飛び出す台に戻るのだが、
かならず一度こちらを向いて、この上ない笑顔で私を見るのである。
顔だけでなく、全身が喜んで、弾けている感じである。

それをみていると、自分がいつも仕事といって子供との関わりを持たないこと、
とにかく仕事を詰め込んで安心感を得ることを少し改めたいと思った。

結局、自分が父にされてきたことをそのまま子供にバトンタッチしているような気がした。
仕方がない面もあるにしろ、少しでも子供の命や自信を膨らませるような父でありたい。

そして、マスカットスタジアム内を自転車で先導しながら走ってくれた。
一緒にいて、心で感じあい、安らかで心地の良い時間を過ごすことが出来た。

子供にとって、父と過ごす時間というのが、どれほど楽しくて、うれしくて・・・、
そして、自分の存在を感じられて、自分らしく弾けることのできる時間なのかということが、
私自身も体で感じるように、よくわかった。

これからになるが、私が要求する厳しいことだけでなく、
子供が望んでいて、心から弾けられる時間を一緒に創りだして行きたいと思った。

その後、シャワーを浴びてから岡山へ。
オハヨー乳業時代の2人の仲間と、保険会社の営業の方と一緒に飲んだ。
やっぱり、少しでも同じ釜の飯を食った仲間と話しをするのは楽しかった。
ちょっと、元気がない同期を励ますことが出来たのも良かった。

夜はわりと早く家に帰って、息子たちにほお擦りをして、大切な人達にメールをして寝た。
最後は充実だった。

今日も承認してみる。
「子供たちのしあわせや成長を感じながら、一緒にかかわってあげられたね。」といってみた。
「こんなに一緒に楽しめたのは初めてかもしれないね。」と返って来た。

いつでも、最高の楽しいダンスを一緒に踊ることの出来る自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。
Let’s dance!

第222号:微笑み。

今日は早朝ミーティングでスタートした。
先週末、大阪出張でかなり疲れが溜まっている感じがした。
打合中であっても、あくびが出る。

ミーティングでは、新しいビジネスコンセプトにめぐり合い、
その可能性を探るために、3C分析を実施した。
仮説もほぼ出来、集めるべき情報もクリアになり、
今日はお盆初日だし、もう十分という、空気になった。
ある意味順調に話が進んだということだろう。

昼からのISOの定例ミーティングはお盆のため、1回休みとなった。
そして、提出物の関係で2件ほど訪問して、終了した。

そして、夜は師匠も含めて4人で飲みに行った。
相変わらず金平の焼き鳥がうまかったし、バーで四方山話を繰り広げるのも楽しい。
以前からお世話になっている人の思いや考え方は楽しいし、
何ににも変えられないつまみとなった。

お盆くらいゆっくりと家でと思っていたのだが、やたらと飲みに行くことになり、
今週については、7打数5安打、打率714という結果になりそうである。
飲み会はうれしいことだけど・・・。

ブログを書きながら、手を組み、それに額をつけて目をつぶってみた。
最近の自分の不摂生やだらしなさ、そして、悲しみなどが立ち上がってきた。

「私が今一番大切にしたいことは何か。」

家族との絆を感じることだと思った。
そういえば、仕事、地域への貢献、知人との交流、コーチングの勉強、さらには、
愛しいクライアントとのセッション、全てが家族とのバランスの中にある。

私が小さかった頃、母がいなくて、結局、おばあさんが私を育ててくれた訳だが、
いつも思っていたのは、父に遊んで欲しいということだった。
結局、その願いはほとんど叶えてもらえることもなく、でも、1人で遊べるようになった。

釣りに行ったり、鉄道写真を採りに行ったり、ソフトボールに参加したり、当時、
遊んだ結果も誰に報告することもなく、心配や悩みがあっても蓋をしてしまう。
深刻な時でも、誰にも相談できないので不安な日が続く。
「誰も自分のこと見ててくれる人がいない。」

その結果、中学校のときは、夜中まで友人と一緒に過ごしたり、
高校に入ると、初めての彼女が出来て、ずっと一緒にいたり、電話をしたりしていた。
そうやって、人との親密な関係を欲し、創っていった。

私は、いつの日か人に微笑んだり、笑ったりする癖がついていた。
自分を受け入れてもらえるために・・・。
子供たちには、そんなこびた微笑みや笑いをしてもらいたくない。
だから私は家族との絆を大切にして、妻や子供たちに、
愛と自信に満ち溢れた人生を送って欲しいと思うようになった。

そのために、私は微笑みたい。
妻や子供たちが本当に望んでいることや、楽しいこと、悲しいこと、恐れなど、
いろいろなことがあるが、その全てを見つめながら微笑んであげたい。
安心して生きられるように、楽しくしあわせに生きられるように・・・。

そして、その満面の微笑みで受け止めてあげたい。
そう、生きるよろこびを創るために・・・。

今日も自分を承認してみる。
「微笑みを浮かべながら、一人一人の気持ちをしっかり味わっていたね。」といってみる。
「そう、自分が微笑んでいる場面を、客観的に見ながら話が聴けていたよ。」と返って来た。

天使のような瞳と、澄み切った微笑みで言いたいです。
今日もありがとう。
またお会いしたいですね。