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第394号:思い出す

今日は、例によって朝から従業員研修だった。

早朝起きてインキュベータに行き、研修の準備を行う。

いつもの慣れた内容であるが、どうやったらもっと効果的なものになるか考える。

考えた結果、いつもの流れで進めることにした。

 

でも実際に研修がスタートすると、参加している方々の個性や想いや考え方、

そして、スキルや能力が全くイメージと異なるのである。

ある意味、楽しい誤算であったり、それに対してどうしていいかわからなくなったり、

ということが、普通に起こる。

いつもその会場の空気になじむように、あるいは、なじまないようにする。

 

研修というのはとても難しい。

結局は、自分のあり方で参加者がゴールにたどり着けるかどうかが決まってしまう。

そういえば、最近の自分の多忙から来る閉塞感はあり方を鈍らせているように感じる。

何とか、打開策を見つけたいものだ。

 

今日も自分を承認する。

閉塞感の中にも熱く生きる自分の姿をもう一度見つけだすことができたね。

と言ってみた。

閉塞感を起こしているものを、こつこつと1つずつ解決してみたら、と返ってきた。

 

今の熱い気持ちを思い出させてくれる今の状態に感謝して言いたいです。

今日もありがとうございました。

また、少しずつ書きますね。

第379号:存在の意味

今日はマッチングプラザというイベントに参加した。

当社の大切なクライアントである企業のブースに間借りして、

コーチングや経営コンサルティングのチラシをまいたのである。

昼前には、先日、我が日本大学の後輩から突然の研修の依頼があり、

それに対応すべく、商談に向かったのである。

 

創業して約7年半くらいだろうか。

そして、仕事の量がどんどん増えてきて、忙しくなってとてもうれしい。

逆に、忙しくないと心配で心配で仕方がなくなる感覚や、

休んでいると悪いことをしているような感覚がある。

今日はもちろんクライアントの支援という大切な仕事なのだが、

すっきりとしない感覚が残る。

 

「何がすっきりしない感覚を生んでいるのだろうか。」

  1. 自社の付加価値を生んでいないこと
  2. 売上に貢献していないこと
  3. 自分を100%生かせていないこと

書いていて感じたのだが、物の捉え方だと思った。

自分がそこにいることで、いろいろな効果を生んでいるはずなのに、

プラスの点をしっかりと感じられていないと思った。

「どうすれば、もっとその場にいる価値を高められるだろうか。」

  1. 自分が具体的な目標を持って、そこに集中する。
  2. 来場者に商品の魅力を届けるという目標
  3. アンケートの回収目標
  4. スタッフを育てるという目標

瞬間的に自分の役割や責任をしっかりと感じればよいのである。

そして、何をどうするかという計画を持つのである。

この仮説と検証を繰り返し、微調整を重ねることが成長につながると思った。

そういう面では、私が話しかけた時のスタッフの笑顔が特に印象に残っている。

 

今日も自分を承認してみる。

「ひとりひとりがそこにいる意味をしっかりと感じてあげられたね。」と言ってみた。

「もっともっと、命を膨らませてあげよう。」と返ってきた。

ひとりひとりの存在を値引することなく、100%でかかわれる自分で言いたいです。

今日もありがとうございました。

第378号:安住すること

今日は夕方の商談がもっと大きなテーマであった。

というのが、今は本当に多くの研修・セミナーを受注させていただき、

私たちが本当にしたいことであるコーチングや経営戦略コンサルティングによる

よろこびを生み出す活動ができている。

とはいっても、経営コンサルティングという分野における経営環境も常に変わっている。

安住の地はないのだ。

そういう面で、安住の地を求めるための商談だったのである。

 

結論としては、経営に安住の地はないということだろうか。

安住の地を求めようという姿勢が、保守的であったり、受け身であったり、

自分勝手であったり・・・、経営的にまずいものを生み出すものだということがわかった。

 

「どう経営したらいいんだろうか・・・?」と考えてみると、

当社の人間中心アプローチの考え方がそのまま出てきた。

  1. 顧客満足:自分の都合ではなく、お客様が本当にしたいことを実現する
  2. 従業員満足:関係者やスタッフの能力を高め、モチベーションが上がる
  3. 経営者満足:経営者の満足は熱い想いに基づき、顧客と従業員を満足させること

最近、ブログを書かなくなってから、相手を熱く思うこと、

相手の望んでいることを感じること、そして、欲しいものを惜しみなくあげること、

少しお留守になってしまったのかなと思った。

 

今日も自分を承認してみる。

「自分らしく生きるために、ブログを書くことを選んでいるね。」と言ってみた。

「もっともっと、コーチとしての誇りを感じて、発信して行こう。」と返ってきた。

相手の想いを大切にし、感情と視点を常に感じられる自分で言いたいです。

今日もありがとうございました。

第377号:事実を認める

今日は商工会議所の日だった。

私は商工会議所に行くのが本当に好きだ。

というか、厳密に言うと好きだった。

要するに、昔ほどは好きではなくなったと感じている。

何がブレーキをかけているのだろうか。

初心を失いつつあること。

  1. 担当者との関係が希薄になっていること
  2. 時間が足りなくなり、多くの仕事をこなすことができなくなってきている
  3. 私以外に多くの専門家が登録となり、自分のポジションが不明確になっている

要するに、自分のその場における存在意義や重要感が少なくなっているのだろう。

声を掛けてもらうだけでは埋められないし、期待されても全て対応できるとは限らない。

「自己責任で考える。」というキーワードが浮かんだ。

人は事実を受け止めるのが苦手だ。

私は特にその傾向が強いと思う。

要するに、現状は自分自身が生んでいるという事実を受け入れにくいということだ。

逆にこんな風に考えることで、自分の道を選択することが可能になる。

思い切って、自分らしい選択をしたいと思った。

熱い思いや相手を思う気持ち、そして、自分らしくいられるよう・・・。

意志決定しなければならないことはたくさんある。

 

今日も自分を承認してみる。

「事実を受け入れられない自分と向き合うことができたね。」と言ってみた。

「その痛みが感じられなくなるくらいしっかりと向き合ってみたら。」と返ってきた。

愛とよろこびを届けたいという熱い想いを持って言いたいです。

今日もありがとうございました。

第376号:美術館

今日は日曜日。

最近日曜日の仕事が多く、参加できていなかった倉敷三斎市のボランティアに行った。

その後は、息子とネイチャーゲームに参加する予定なので準備のお手伝いだけとなった。

久々だったので、新しい取り組みも多く、いつも参加しているスタッフに頭が上がらなかった。

ただ、参加することで自分自身の存在意義のようなものが感じられ、

本当に心地の良い時間を味合わせていただいた。

感謝である。

 

そして、以前から非常に興味のあったネイチャーゲーム。

自然に触れ感じるることで、ありのままの自分を取り戻すことができる取り組みだ。

その研修の進め方は、コーチングの研修に近いものがある。

自分らしくあるために、呼ばれたい名前を書く。

研修がスタートしてからは、否定されることなく、ありのままの自分でいられるよう、

ゲームリーダーが場をコントロールしていく。

和やかな雰囲気の中で、親も子も心を開き、その自ら持つ感性を開いていく。

ゲームの内容は、今回は2つだった。

  1. わたしはだあれ
  2. 森の美術館

特に面白かったのは、森の美術館である。

ゲーム会場の公園の中にある木々を見つめ発見したことを真っ白なふちで切り抜き、

ひとつの作品を作るというものだ。

私は、『木のアパート』、息子は『なかよしくん』という作品を作った。

自然を見つめながら、いろいろな視点から見て、心の動きを感じる。

そんな、自分自身の心の動きが味わえる時間だった。

 

今日も自分を承認してみる。

「子供と一緒に、いま、ここをしっかりと味わうことができたね。」と言ってみた。

「もっと100%で、ぎっしりとした時間にするにはどうしたらいいかな。」と返ってきた。

自分のありたい姿にまっすぐに、熱く生きている自分で言いたいです。

今日もありがとうございました。

 

ネイチャーゲーム協会の皆さま、ありがとうございました。

近いうちにまた、スタッフとしても参加させていただきたいです。

今後ともよろしくお願いします。

第375号:再スタート

早いもので、ブログを中断してから、約4ヶ月がたってしまった。

書けなくなってしまった理由には色々とある。

  1. 愛用していたデルのノートパソコンが壊れてしまった
  2. 新しいパソコンの無線LANへの接続ができなかった(未だに・・・)
  3. 新しい受注があり多忙となった
  4. ブログを書くモチベーションがあがらなくなってしまった

特に私として重要なのは4.であり、それらのものは4.を増長するような形である。

ブログを書くモチベーションという点で振り返ってみると、次のようなことがいえる。

  1. 一生懸命に書いてもアクセス数が伸びなくなってしまった
  2. 一回停滞してしまって、毎日書いていたものが滞ってしまった
  3. ホームページのリニューアルが重なり、完成してから・・・と思ってしまった

最近になって思うことだが、自分の今の状況を振り返ること、

そして、発信することを怠るようになってから、大事な幹がぐらぐらと揺れるように感じる。

自分の思いやあり方、つまり、アイデンティティを失ったようにも感じる。

その結果として、自信もなければプライドやモチベーションも下がってきたように感じる。

 

その一方で、第3子である喜子ちゃんが生まれたり、

FM岡山で森田恵子ちゃんの番組に登場したり、

ペルソナ&シナリオ手法による新商品開発プロジェクトが立ち上がったり、

と新しいことがたくさんある。

私は再び、自分を取り戻すためにブログを書きはじめたいと思っている。

そんな今日にしたい。

 

今日も自分を承認してみる。

「今の状態を冷静に振り返って、もう一度、自分のありたい姿に向き合えたね。」

といってみた。

「きっと間違っていないよ。」と返ってきた。

こんな私ですが、この世の中を愛とよろこびで満たしたいと叫んでいいたいです。

今日もありがとうございました。

またお会いしたいです。

第23号:分身を創る。

やっと1週間が終わってほっと一息だ。
ちょっと、ワーカーホリックな状態に陥っているような気がする。

ワーカホリックってなにかというと、仕事中毒と言う意味である。
当人が所属している仕事以外の共同体(家庭や地域など)への参加意欲が失われることだ。
家族への参加意欲が失われているわけではないが、お客様を最優先しているし、
仕事に使っている時間は寝ている時間を含めて最も多い。
自営業の性かもしれないが、仕事中毒といっても過言ではない。

「なぜ人は、仕事中毒に陥るのだろうか?」

この問いに対する答えは、

  1. 仕事の成果によって自尊心が維持できるから
  2. 自分の存在意義そのものだから
  3. 自分の個性を主張する場であり、自分であり続けられるから
  4. 金銭的な報酬により安心、安全が得られるから
  5. 自分の想いやビジョンを実現できるから

上記の1.~3.については、いわゆる自尊の欲求と呼ばれるものであり、
4.は安全の欲求、5.は自己実現の欲求である。

つまり、1.~4.までは、いわゆる、純粋にニーズといわれるものである。
5.は、価値観に基づく欲求であるため、ここでは価値観と呼び、ニーズとは区分したい。

ニーズが満たされないと、人は欠乏状態となり、イライラしたり、やる気を失ったりする。
そんなときには、イライラをおさめようとして、逆に駆り立てられるような行動をする。
このようになると、完全にワーカーホリックな状態だといえる。

価値観は、自分の想いにも通ずる。
満たすというより、選択し、膨らませて、ワクワクしながら実現させるものだと思う。

そういえば、会社を興して以来、がむしゃらに仕事をしてきた。
仕事のし過ぎで、疲弊して、自分への信頼感を失ってしまうこともあった。
でも、最近は心の揺れが小さくなっているような気がする。
何かあった場合を除いてだが・・・。

「何が、自分を落ち着かせているのだろうか?」

もちろん、仕事の確保や金銭的な報酬が満たされてきたということもあるし、
コーチングをはじめて以来、自分の仕事のスタイルが確立されてきて、
自分の個性や存在意義も感じることができるようになってきた。
でも、それらのニーズが満たされただけではないような気がする。

人生を生きる理由が明確になってきたからだと思う。
「生きるよろこびの渦を創る」、「協働のよろこびを創る」
これらを実現するために、呼吸をし、生きている。
ちょっと、最近くどいと思われるかもしれないが・・・。
だから、私はワーカーホリックを脱して、“よろこびを創り出す人”へと進化しようとしている。

やっとタイトルに戻ることができるが、自分の存在意義や方法にもこだわるのではなく、
“よろこびを創り出す人”になりたい。
また、そういった人を、世の中に送り出していきたい。

先日から一緒に活動してくれている大学生の正記くん、
話すたびに成長している感じがする。
自分の周りから、素晴らしい人が育っていってくれたらいいなと思う。

会社の経営でも人を創る、家庭でも人を創る。
人間は生まれてきて、子供を産み、育て、社会に貢献できる人を創ることが、
使命なのではないかと思うし、もっというと責務なのではないか。

私、西田和英の“分身を創る”と、とんでもないのが増えて大変になってしまうが、
経験、ノウハウ、そして、良い想いだけでも伝えられたらうれしいと思う。

明日はコーチングラボウエストのセミナーに参加するため、お休みとさせて頂きます。
「人生の展覧会」を描き、「人生のキーワード」を見つけて来たいと思います。

青年の主張に付き合っていただき、ありがとうございます。
いつまでも、熱く語っていきたいと思います。

第22号:ごめんなさい。

今日は朝から落ち着かず・・・。
できていないことが小骨のように刺さってヒリヒリしているようだ。
しかも、最近調子に乗って連日夜更かしをしているせいか、
明らかに疲れがたまっている。
朝起きる時も、もうすこし・・・寝ていたいと思った。

何とか朝の準備を済ませて家を出ようとするも、
あれやってない、これやってないと、トゲトゲしたものに引っ掛かって、
なかなか家を出ることができないし、
家を出たのはいいものの、朝のラッシュと高速道路の工事で、
今度は約束の時間に間に合うかどうか微妙になってきてイライラした。

ヒリヒリ、トゲトゲ、イライラ。
昨日までの背中を押されスッキリとした感覚に、雑音が混じってきた。
おまけに、車で走っているとき、またできていないことに気がついた。

そういえば、たくさんの引合いや受注をいただいているのに有頂天になり、
何か大切なものを置き忘れているが時があるような気がする。

「置き忘れているものは何か?」

  1. 仕事を出してあげようという相手の気持ち
  2. 自分が絶対に何とかしてやろうという気持ち
  3. 初心や今までの苦労したこと、失敗、経験

「どこに置き忘れているのか?」

  1. お客さんとの会話の中
  2. コーチングを学んだ京都
  3. 忙しくバタバタして散らかった机の上

コーチングは「答えは相手の中にある。」という基本的な思想に基づき、
セッションの中では相手に答えを考えさせるというスタンスを取る。
ひょっとしたら、自分の忙しさとか散らかった机の上に、
創業したときに書いた言葉を置き忘れてしまったのかもしれない。
特に、コーチングというもっともらしい、言い訳をつけて・・・。

今日はとにかく、“ごめんなさい”といいたい。
みんながくれた、大切なプレゼントを食べられなかったり、
せっかくいただいたのに返さなかったりしているかもしれない。

“ごめんなさい”と謝るだけでは足りない。
自分のことも大切だけど、周りの方の期待に応えるために・・・、
もっともっと、“協働のよろこび”を創り出していきたい。
創り出すだけでなく、熱く生きること、今を100%で生きること、
そして、自分にできる100%の力で受容し、励まし、そして、
“私がしてあげられること”を責任を持って確実に提供して行きたい。

自分、自分と自己中心的にいうのではなく、すべては大切な人や社会のために・・・。
今はできていないことも、必ずできるようになるよね。
「風林火山」の心、「自分を楽にする」というスローガンに従えば大丈夫。

今日もありがとうございました。

第21号:背中を押される。

今年に入ってなんだか不思議な感じがする。
なんとなく、まわりの人から背中を押されるように前へ前へと進んでいく。
今までのように、何をさせてくださいと言わなくても・・・。

たとえば、セミナーのお話をいただいた時に、
今までなら引き合いだけで終わっていたものが、仕事として決まっていく。
あるいは、ある企業から紹介が立て続けに発生し、十分な仕事の量が出てくる。
まだ少ないけど、雑誌などのメディアから頼んでもいないのに取材依頼がある。
一緒に前進していく仲間が現れる。

このように良い話が増えていくのは、自分がコンサルティングでもコーチングでも、
とにかくお客様のためにと思って一生懸命にがんばっているからだと思う。
が正直言って、以前と比べて技術や知識が上がったからという訳ではない気がする。
どちらかというと、運がいいとしか思えないようなこともある。

「運を味方につけるためにはどうしたらいいのか?」

  1. 自分の将来のビジョンや想い、あり方が明快である
  2. いつもポジティブで、行動的である
  3. 自分のためより、人や社会のために生きている

今支援させていただいている企業があるが、新規事業を立ち上げ、想いを明確にし、
新規事業を動かし出した瞬間に必要な支援者がすべて集まってしまった。
本当に不思議なものである。
今の自分もそのような段階に徐々に入って行っているような気がする。

「自分は何をする人なのか?」

 伝える人?
 励ます人?
 助ける人?

あきらめを感じている人に、勇気、行動、感動を提供する。
そうすると、世の中に生きるよろこびの渦が広がる。

まず、自分が何者で、何がしたいか明確にすることが必要だね。
そうすれば、自分の生きる道が生まれてきて、そっちの方向に背中を押してくれる。
その思いを表現するともっとわかりやすくなるね。

今日は誰に“生きるよろこび”を提供できるのか?
逆に、その人に今起こっていることを捉えて、どれだけ支援できるか・・・。
それができる思考や行動を磨いて行きたい。
お客様のニーズや期待をうらぎらないように・・・。

感謝する意味がまた深くなったような気がします。
ありがとうございます。

第20号:涙がでる。

今日ある方と、「最近涙もろくなった。」という話をしていた。
コーチングを始めてから、いろいろな周りの人の思いを感じて涙を出ることが増えた。
というか、私の場合は、昔から泣き虫な面もあるのだが・・・。

涙が出るというのは、弱い人間だから・・・というネガティブなイメージがある。
涙は、本当に弱いことや悪いことを意味していることなのだろうか?

どのようなシーンで涙が出るのかを振り返ってみる。
①スポーツのシーン(駅伝やマラソンを始め、なんでも)
②映画のシーン(古いけどライフイズビューティフル、頑張っていきまっしょいなど)
③会話の中で(仕事やプライベートの中で)

とにかく、涙が出る。

「自分が流す涙にはどのような意味があるのか?」

①その人の「私はこれをしたい」というひたむきな思いを感じている
②その人の努力やそれまでの苦労、そして、その思いを感じている
③その人のおかれた環境や立場の中で、負けずに、一生懸命に頑張っている姿を感じている
④自分が理解してもらえたという安心感や信頼感を感じている

なんだか、その人の思いや努力に共感しているような気がする。
自分が大切だと感じているもの、つまり、価値観や家族についての共感である。
きっと、お金や名誉や地位だけでなく、人として大切にしている何かがあるのだろう。

じわっと胸の中から熱いものがこみ上げ、鼻を通り、目から押し出されるような感じである。
次の瞬間、相手と自分のこころを信じきり、癒されていくような感覚が生まれる。
いつもこんなだと大変だけど、もっともっとこの感覚が欲しいような気がする。
だって、魂が震えているからだ。
このことこそが、感動しているということではないだろうか?

私の提供するものは、勇気、行動、感動だ。
そうすれば、あきらめをなくし、生きるよろこびの渦が広がっていくはずだ。
自分は、熱く、今を100%で生きるだけだ。
自分の思いに正直に・・・。

さて、最後に解説のようになるが、涙には次の種類があるそうな。
①自分のために流す涙
「うまくいかない」とかという自己憐憫(自分をあわれむ)の涙はあまりよくない。
こころは軽くなるが、ほんとの意味であなたのためにならない。
あなたは、自分からも他人からも憐れみを受ける存在ではない。

②他人のために流す涙
人と共感したり、映画や本、舞台などを見て読んで感動して涙を流すのは素晴らしい。
生きているからこそ、喜怒哀楽があるのだから・・・。
感動したときに流す涙には、ほんとにすごい洗浄力がある。
こころがすっきり軽くなる。

共感し涙を流す、そんな、感動のシーンを少しでも多く創り出したい。
泣いていいんだ。
子供の頃のように・・・、自分に正直に・・・、あるがままに・・・。

ありがとうございます。
みなさんがいるから、生きるよろこびが創れるのだと思いました。
一緒に生きて行きたいですね。