第467号:求められる

今日は午前中は家族で厄除けに行った。

私の数え年の41歳、つまり、前厄のお払いと、娘の1年のお参りである。

イラチな私は、少々イライラした気持ちを感じながら、準備をして出発した。

現地に着いてからも、そのイライラはなかなか止まず、

息子たちがあまりにいうことを聴かないので、おこるばかりしてしまった。

そして、お払いをしてもらった。

いつもは静かな気持ちになるのだが、どうもざわざわして落ち着かない。

まさに厄年の幕開けのような感じがした。

昼からは、尊敬するファイナンシャルプランナーで営業コンサルタントの方とあった。

そして、東京で活躍している女性のカウンセラーを紹介してもらった。

最初は売り込みの一方でなんとなく嫌な気分になった。

こちらには関心を持ってもらっていないと感じたのだろう。

よく考えてみると、自分が一方的にしゃべる場合と、

相手が一方的にしゃべる場合と両極端なコミュニケーションが多いことに気が付いた。

でも・・・、別の視点なのだが、

東京で営業していた時はこのくらいの押しがあったかもしれない。

岡山から帰って来てからは、相手とのビジョンの共有をとても重視している。

だからこそ、話をよく聴くようになった。

岡山弁で、「自分のことばーじゃー。」という声が怖くて、

それから、父が「相手がなにゅーしょーとしょーるんか聞かんと。」という、

とても岡山県人らしい発言をもらってからというもの、聴くことを大切にしている。

結局、仕事を一緒にすることになった。

少しずつ、人となりが分かってきたからかもしれない。

でもやっぱり、僕の事にも関心を示して欲しいのー。

今日も自分を承認する。

自分の心に起こっていることをしっかりと味わうことができたね。

と言ってみた。

苦しかったね。

と返ってきた。

自分が人から求められているという実感を思いっきり感じながら言いたいです。

今日もありがとうございました。

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