第310号:解放する。

今日は出張明けであり、たんまりとブログがたまっていたので、
朝起きると直ぐにそれに取り組んだ。
あと、あまり運動していないので、今日の午前中は耕と走ることに決めた。

朝食をとったが、妙にブロッコリーの乗ったベーコンエッグ(目玉焼き)おいしかった。
食後、残ったブログを何とか書き終えて、耕に声を掛けた。

占いを見ていると自然の中に入るのがよいということだったので、
幼稚園の南側の山に入り、ブラックバスやブルーギルのいる池に佇むことにした。

「さあいくぞ!」と耕に声を掛けて表に出て、まず軽い柔軟体操をして、走り始めた。
今日はあまり怒らないようにしようと思っていたので、ゆっくりゆっくり走っていく。
耕も怒られたくないし、先日空手で優勝して自信がついたし、
そう、鉄棒で前周りも出来るようになったせいか、気持ちが前向きな感じだった。

走ったせいもあるのだが、耕の喘息の症状がでてヒューヒュー言ってた。
ちょっと苦しそうに見えたので、肩を抱き寄せながら呼吸を合わせて、
特に吐くほうを意識した呼吸をして、落ち着かせようとした。

幼稚園の向こうの山の池にたどり着いた。
朝というか、秋の冷たい空気が気持ち良い。
耕と一緒に深呼吸した。

冷たい空気が胸の奥に入ってきて、そして、自然を感じながら、
自分の胸に問いかけてみた。

「今の自分は何に囚われているのか。」

  1. 仕事において成功したいという心
  2. スタッフを始め、人を思う気持ち
  3. 自分自身の能力を高めたいという気持ち
  4. 未完了の仕事

本当に今必要だし、やりたくて仕方が無いものの方がたくさん出て来た。
やらなければならないことが終らないで引っ張られているのであれば、
それは早く問題解決しなければならない。
けれど、今の時点で本当にやりたいことや想いにも囚われているのである。

自然の前に立つと、自分の熱い想いや志でさえ、
ちっぽけで自分の欲に過ぎないと感じる。

頑張りすぎているのかなって思った。
それから、人を想うのも力いっぱいというより、静かに想う感じになりたい。
以前書いた「展覧会の絵」の大木のように・・・。

結局は、自分勝手に生きているだけ、人生という流れの中で、
もがき、苦しみ、もちろん上手く行けば有頂天となっているのに過ぎないと思った。

帰りには、耕と一緒にお墓に行ってご先祖様に手を合わせた。
いつもここに来ると、耕をひざに乗せて、走ってここまで来たことを誉めて、
そして、家族みんなにお礼を言うのである。
頬をくっつけながら、横から瞳を見つめながら・・・。

そして、遊園地に行き、自慢の前周りを見た。
本当に上手にくるっと鉄棒の周りをまわって、ポンと着地する。
努力というより、立ち向かった成果だと思った。

悪いことに、逆上がりを強要してしまった。
一応、耕は応えてくれたが、本当はできるようになった前周りを見て欲しかっただけで、
逆上がりを教えて欲しいわけではなかったのだろう。

そして、昼からは創業ネットに参加した。
今日から自主運営ということで、私達は完全に脇役のつもりで参加した。
今回はというわけで参加者が激減した。

でも、今回は本当に楽しかった。
人数は減ったけど、商売を学びたいとか、仲間と一緒に取り組みたいとか、
純粋な想いのある人だけが残ったからである。

ミーティングでは朝市への出展が決まり、何を出すのか、めちゃくちゃ盛り上がった。
私自身もファシリテータという役ではなく、1人の参加者としてほぼ言いたい放題、
役割を変えて参加すると本当に楽しかった。

参加してくださった方々の笑顔が、今でも印象に残って離れない。
一緒に生きて行きたい人々だと思った。
厳しい師匠にも報告して、冬には倉敷の鉄じい鍋を復活させたいと個人的には思った。
そして、夕方、心が通うような1本の電話で暖かくなった。

夕食は、家族との団欒だった。
鍋をつつき、ビールを飲んで、心地よくなった。
そして、直ぐに寝てしまった。
久々の力が入らない、ゆっくり体験だった。

今日も自分を承認してみる。
「今の自分が囚われていることに向き合い、気付くことが出来たね。」
といって見た。
「囚われていても良いんじゃないかな。それを精一杯感じることが大切だと思うよ。」
と返って来た。

いつも一生懸命に人のことを思い、自分自身を大切に出来る自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。

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