第305号:ゴールの向こう。

今日は早朝ミーティングということで、朝いつもより早起きして出発した。
例によって内部監査員の教育を行い、やっと内部監査に入ることが出来た。

ファシリテータ養成セミナーであるCATを受けたこともあり、
しゃべりの調子も良いし、そこそこ参加者に変化を与えることが出来ている。
今日も結果としては、まずくないという表現が適切である。

しかし、その関わり方は、押し付けだったり、紋切り型であったり、
正直言って、あてずっぽうであるように感じる。
要するに、プロセスを見る時に、個々の参加者の心の動きにも注目するのだが、
終わってから思うことがある。

「そういうことだったのか・・・。」

一見不満そうに見えたり、怒っているように見えても、
実際は熱中して作業をしていたり、真剣に取り組んでいるだけだったりする。
その人のプロセスは見えていないということである。

「どうしたら、プロセスが見えるようになるのか。」

  1. 声を掛けてみて、反応を見る
  2. 集団のエネルギーの力や方向を感じる
  3. 個人のエネルギーの力や方向を感じる

特に個人においては、どのような関係性を持っているかを感じることが大切である。
誰か声の大きい人がいて、その人の独断で合意が得られないまま決定したり、
逆に、1人だけが意見を言うこと、言えることもなく終わってしまうこと等に注意である。

こうやって、ファシリテーションについてのポイントをアウトプットしていくと、
徐々に自分のファシリテータとしてのありたい姿が現れていっているように思う。
少しずつでも明確にしていきたい。

最近、ISOの認証取得支援やコーチングをしていて思うところがある。
当たり前のように、言う言葉がある。

「ISOを取ること自体が目標ではない。」

最もなことであるし、経営者の理解や、従業員の方の納得を得るために使っている。
でも自分に出来ることというのはそこまでであり、
その目標やビジョンを作るということについては、経営者や管理職の責任である。
もちろんそこにかかわりを持っていくということは大切なのだが・・・。

目標にはエネルギーを集中させるという効果がある。
その目標が達成されたとき、何が聞こえ見えるのか、そして、どんな感情が起こるのか、
それを人間は感じながら生きているのである。

そして、それが実現されることの人生における目的や意味は何かを感じると、
そうしなければならない理由がより明確になるのである。
まさに大きい主題と小さい主題である。

それから、ある会社に行った。
その会社では色々な問題が起こっているという報告を受けた。
ちょっと寂しいことである。

私はそこにいるすべての人が愛とよろこびに満ち溢れた世界が欲しい。
社長を始め、管理・監督職、そして、従業員にいたるまでみんなが生き生きしている。
そのために目標を設定し、日々活動を展開しているのである。

このように目標には、本来そこへ向かわせる力があるのだが、
機能しないことが多々ある。

前述の通り、ISOの様に目標と手段が入れ替わってしまったり、
目標のイメージやその向こう側にあるもっと魅力的なことがあったりするのだが、
それがわからなかったり、信じていなかったりすると人はモチベートされないのである。

最近の私もそうかもしれない、目の前のよろこびに振り回されて、
想いを常に感じて、スタッフと共にしあわせな場面を見つめることが出来ていない。
そして、それが実現された向こう側にあるしあわせを見つけることが出来ていない。
これは私の責任であり、緊急改善が必要だと思った。

さあ、今日は岡山大インキュベータ・ラボの開設である。
そんな夢やしあわせをどれだけ創ることが出来るか、
これは、私の挑戦でもあり、人生の主題にも重なる重要なことである。

「絶対にやってみせる。」と叫ぶよ。

今日も自分を承認する。
「自分が出来ていないこと、真剣に受け止めることができたね。」といってみた。
「自分のため、人のため、社会のため、そして、愛すべき人のために想いを忘れるな。」
と返って来た。

高らかに歌い、そして、低く心を震わせながらいいたいです。
今日もありがとうございます。

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