第300号:今がすべて。

つ、ついに今日で300号達成しました。
読んでくださっている方々、本当にありがとうございます。

死ぬまであと何回こうやって皆さんと心を交わすことが出来るのだろうと思うと、
このブログの意味もしっかりと考えてみたい。
といっても、まだ1年も続いているわけではないので、これからの方がずっと長い。
なんか人生そのもののようにも感じてきた。

人生というと大げさなのだが、たった300回でもブログを書いてくると、
その時の自分がおかれた環境と、それに対する自分の捉え方やあり方が見えてくる。
いわゆる思考の癖である。

「ものの捉え方の特徴にはどのようなものがあるか。」

  1. 悪いことが起こると、すべてが悪くなりそうで不安になる
  2. 良いことが起こってもたまたまと捉え、自分の強みを伸ばせない
  3. 失敗すると、自分自身に力がないと捉え落ち込み、改善できない
  4. あまりに良い事があると、これは自分には無いと思い、不安になる

上記のように見てみると、心の傷は自分をしあわせにしない方向に導いている。
その一方で慎重で、努力家の自分を作り出しているようでもある。

要するに捉え方によって、人生の流れに逆らおうとしたり、立ち向かったりするし、
逆に人生の流れに身を任せて、上手く流れに乗れたり、溺れてしまったりする。
流れが見えているのに、自ら厳しい道を選んだり、見ないふりをしたりもする。
まさに、「チャンスには後ろ髪が無い」という状態である。

私の場合は、上手く流れに乗れているように見えて、実は悪い方向へ進んでいる
というのはあまり無いように思う。
比較的、悲観論者であるから、ガンガン進んでいるように見えて結構びびっているからだ。
自分を失敗や立ち直れなくなることから守ろうとしている。

こんな風に考えていると、今の自分は何かにとらわれ、溺れているような感じである。
流れを見つけて乗ろうとしているし、その流れに沿って思いっきり漕ごうとしているのだが、
この数日、何かが私の心に絡み付いて、その動きを遅くしている様に感じる。

今日午前中は、ISOのコンサル&プレゼンテーションのレクチャー、
昼は一旦家に帰り、軽く居眠りをして、それから、ISO導入のコンサル、
そして、夕方は空手の練習に行った。

残念なことに、今日の空手には遅れていくことになってしまった。
最初から練習に入ると、黙想して“宗家訓”を唱えるところからスタートする。
身が引き締まるような感覚となり、心が静かになり、すべてのエネルギーが集中する。
色々ととらわれているものが、剥がれ落ち、まっすぐなハートだけになるような感じがする。
これが出来なかったのは残念なのだが、この空手の中でとても大切なものに出会った。

「その瞬間にすべてをかける」

私は入門してから1年しかたっていないので、中学生の先輩がいる。
いつも中学生の師匠に型について教わっているのである。
今日は最後のほうで一緒に練習をするシーンがあり、その時、師匠はこういった。

「自分が学んできたもののすべてを伝えたい。」

私は「はっ」と思った。
彼に今できるすべてを投入して教えようといっているのだ。
素晴らしい言葉であり、少しでも多くの学びを得ようと思った。

そして、最後に黒帯の師匠が、高度な型を打った。
社会人の男性、高校生と小学生の女の子の3人である。
わたしは、この3人が型を打つのを見るのがとても好きである。

その集中力、真剣なまなざし、そして、技の切れと姿の美しさがなんともいえない。
まさに、まっすぐである。

今色々なことに囚われたり、それに飲み込まれそうな自分がますます情け無くなった。
ヒア&ナウで、今にすべてをかけよう。
そして、今を味わいつくそう。
今しかないのだから、過去や将来に囚われるのはやめよう。
そうすると、もっと自分自身の生きるよろこびを大きくすることが出来るから。

今日も自分を承認する。
「今の自分の状況に目を伏せることなく、しっかり見つめて答えを探すことが出来たね。」
といってみた。
「もっと今の自分の状況を前向きに捉えてみたら・・・。」と返って来た。

今にすべてをかけ、味わいつくし、そのすべてを受け入れられる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。
今以上の懐の深さを持つことや、「この世の中を愛とよろこびで埋め尽くす。」
という想いを持つことが大切ですね。

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