第281号:感謝の意味。

夜中に目が覚めると、雨がザーザーと降っている。
そんな中ブログを書きながら、今日は雨がやんで欲しいと願っていた。
なぜならば、今日は耕の幼稚園の運動会なのである。

夜中であって、昨日の夜の余韻を感じながら過ごしていると、
いろいろな自分の想いがあふれ出てくる。

「世の中を、愛とよろこびで埋め尽くす。」ということが、
自分の魂が一番震えることなのである。
それとは逆に、それは自分自身が一番望んでいるということでもある。

また、そのほかにも違う望みというものもいっぱい存在している。
「あきらめをなくし、生きるよろこびの輪を創る」というのもそうだし、
「ヒーローを育てる」というのもそうかもしれない。

こんなのもある。
「もっと私の全てを受け入れて欲しい・・・」
「私のことを、この世の中で一番好きで大切な存在であると思って欲しい」
「それを、どんな方法でもいいから私がわかるまで伝えて欲しい」
男女問わず、自分の重要感や存在価値を感じたいのである。

こんな風に考えていると、いろいろな人の顔が目に浮かび、
私の思い出のシーンがよみがえってきた。
最近のことだと少し!?差しさわりがあるので、ずっと昔にタイムスリップしたい。

●分かり合うということ
多分、このブログにもたまに読みにきてくれていると思うのだが、
高校時代からの親友のことである。
別に大きなけんかをする訳ではないが、お互いに思ったことを率直に言い、
場合によっては、思いっきりけなしあう。
そうすると、お互いのことや自分のことが分かるようになるのである。

その結果、私は、本当に世間知らずで、自己中心的で、大して面白みも無いのだが、
こいつだけは、私にいつもこんなメッセージを送ってくれていた。

「お前はほんまに友達いないよな。でも、面白いし、俺は理解している」

だから、本当に恥ずかしい話や失態があるたびに、こいつには話がしたくなり、
ついつい、連絡してしまうのである。
そうすると、「西田らしいな」とか、「変人だね」とかといって、茶化しつつ、
受けて入れてくれて、本当に笑顔に切り替わることが出来るのである。
分かり合うことの大切さを教えてくれた。

●人を愛するということ
たぶん、このブログを読んでるわけでもないと思うし、すごく昔の話しだし、
個人を特定することはほとんど不能なので、書いてみようと思う。

私の恋愛時代であるが、どっぷりと恋に落ちてしまった。
本当にいろいろな経験をして、一緒にいるということや、楽しませるとか、
喜ばせるとかということのよろこびをお互いに育んだことを覚えている。
寂しがりやの私は、わがままを通し、言葉で傷つけてしまったりしたこともあったが、
彼女は私を理解してくれて、本当に優しく励ましてくれた。

そんな時代を一緒にすごして、そして、私の旅立ちのとき、
新幹線のホームにおにぎりを持って送りに来てくれた。
アルミホイルに入ったおにぎりと、たしか、リンゴをむいたものだったと思う。
そして、好きだったフェリックスの封筒だったと思うが、手紙が一通入っていた。

新幹線に乗りこみ、ゆっくりと動き出す。
彼女のほほを涙が流れるのが見えた。
その涙をぬぐいながら、ゆっくりと新幹線の動きにあわせて歩き始めた。
そして、だんだん速くなり、最後は思いっきり走って追いかけてきた。
私もその姿を見て、涙でぐちゃぐちゃになり、姫路ぐらいまでずっと涙が止まらなかった。

人を好きになり、一緒に寂しさや悲しみを味わい、楽しむことのよろこびを教えてくれた。
だから、今私は寂しそうな瞳に出会うと愛しくて仕方が無くなったり、
何とかしてあげたいと強く感じるようになったのだと思う。

●和が大切であるということ
私には母がいない。
理由は書いても仕方が無いのだが、ある理由があり一緒にいられなくなってしまった。
その母は、当時仕事をしていたが、転職を繰り返していて定職に着くことは無かった。
どうやら、直ぐにかんしゃくのようなものを起こして、けんかをしてやめてしまう。
働いていたときも、極端に会社の人に会うことを嫌ったりもしていたような気がする。
家族の中でもけんかは絶えなかったのを記憶している。

それを見ていた私は、当時は「嫌だな~」とか、「なんかあった方が面白い」
と言う位にしか思っていなかったのだが、
いつの日か和が大切だというように思うようになった。

私の名前は、和英とかいて、かずひでという。
家族だけの披露宴のとき、「和を以って尊しとなす」という聖徳太子の言葉を使って、
「和を以って英となす」というように読み替えてスピーチをしたのを思い出した。

その時の苦々しい経験や、母がいなくなってからの不安の中で生きる経験が、
今の私に和の大切さを教えてくれた。

その時、あなたがそこにいて一緒に生きてくれたから今の私がある。

感謝の意味というのは、今を共に生きてくれたことそのものにあると思った。
すべてはあなたがいたから。

自分の道や生き方を探すのには、感謝が必要なのである。
すべての経験を前向きに受け止められたときに、その経験が学習に変り、
発するエネルギーも、受け止めるエネルギーも体の中に蓄積されるのである。

人にしてもらったことや、してあげたことなどの経験の中に大切なものがあり、
感謝することで、体の中にしみこませることが出来るのである。
そして、すべてのそのような経験がリソースになるということだ。

そんな自分のリソースに気付き、自分の意識の幅を増やしていくことこそが、
洞察力や包容力につながるのだと思った。
なぜか愛しいクライアントの承認のメッセージが聴こえてきた。

子供と過ごすときにも少しでも多くの愛やよろこびを届けたい。
そうすることが、子供の体の中に、愛やよろこびを注入することが出来き、
愛やよろこびに満ちた人生を手に入れられることにつながるのだと思う。
そして、これから出会う人にも施すことが出来るようになるのである。

というわけで、夕方には妻と耕と龍をつれて、キャティのジャンボパフェを食べに行った。
3連休もあってか、着飾った女の子で込み合っていて、ちょっとイライラしたが、
きゃっきゃとはしゃぐ耕と龍の姿があったり、妻の満足そうな笑顔があり、
こんな経験をどれだけ多く創ることが出来るかというのも私の使命だと思った。

今日も自分を承認する。
「自分の全てを受け入れ、見つめ、目の前にいる人に生きるよろこびを届けていたね。」
といってみた。
「もっともっと、子供達の瞳の奥のエネルギーを感じてごらん。」
と返って来た。

きっと、そこには今楽しんでやっていることを止めたり、叱ったりすることが
出来ないくらいのよろこびやエネルギーがあると感じた。

とにかく、全ての“望み”と“今起こっていること”を感じながら言いたいです。
今日もありがとうございました。
全ての出会いに感謝します。

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