第275号:センターコート。
先週末までの研修などが終了したため心安らかな朝であったが、
昨日、飲みすぎてしまったせいか頭が痛く、もう1つという感じであった。
朝起きたときは雨音が聴こえなかったのだが、
突然パラパラという音が聞こえ始め、ザーッと静かに降り始めた。
先週、力いっぱい走ってきた疲れや、心の汚れのようなものを
洗い流してくれるような気がした。
「心の汚れを落とした後に、残ったものはなにか。」
- 安らかな気持ち
- 寂しさと不安な気持ち
- 全てを受け入れようという気持ち
相変わらず、秋のセンチメンタルな気分のようである。
安らかにゆっくりしようと思った瞬間に寂しさや不安が立ち上がってきた。
そんな時に、下の子である龍が「パパ、パパ、パパ」と連呼しながら、
朝ごはんをつげに来たので、ギュッと抱きしめて1階に下りた。
そして、暖かいゴハンとかき玉汁と焼きたての鮭でご飯を食べた。
薄めの味のかき玉汁が体にしみこむような感じがして、生きている実感がした。
通常であれば、ここで寂しさや不安を埋めるための行動をするはずなのだが、
雨も降っているし、午後からは創業ネットワークに参加しなければならないので、
今は布団に入り、PCを持ち込んでつつきながら、居眠りをすることにした。
そして、ふと目を覚ました時に、「わっ、生きているし!」と思った。
いつの日かこの魂も消えてなくなるのかと思うと、さっきの寂しさとは違って、
この魂がなくなるってどんなことだろうと、想像を絶する怖さが襲ってきた。
「この怖さはどこから来ているのだろうか。」
- 自分の存在や魂がなくなるということ
- この魂の行くところが分からないこと
- 生きていることを味わえなくなること
このようにいろいろと考えていると、まだ生きるということに未練を感じているようだ。
生きていると、本当に悲しいことや、辛いことや、寂しいことがある。
一方で、めちゃくちゃうれしかったり、楽しかったり、魂が震えたりすることもある。
要するに、まだ生きていたいのだ。
まだ生きて、そんな生きている実感を味わいたいのだと思った。
もっともっと満足するくらい、もう味わいつくして飽きてしまうくらい、
胸の奥がツーンとするくらいの感覚を常に感じていたい。
それは、お互いに理解しあった仲間と一緒にいることであったり、
苦しくて死んでしまいそうになるほど人を好きになって、愛し愛されることだったりするし、
自分が本当に実現したい大きくて魅力的な自分を手に入れることだったりする。
それが、まさに今私自身が進めている“センターコートプロジェクト”なのだろう。
このセンターコートの上に多くの人と一緒に立って、
勇気付けたり、励ましたりしながら生きて行きたい。
そして、充実感に溢れた生き方をしたいし、あるときには歓喜の叫びを共にしてみたい。
鍛える師匠が、研修終了後に“よかった!上手く行った。”って言っている姿を思い出した。
可愛い師匠が、真剣に研修の内容をアイデア出ししてくれるのを思い出した。
社長の師匠と、うれしかったり、困ったりしたことを話している場面を思い出した。
愛しいクライアントが、逆に私を心配してくれるのを思い出した。
他にも・・・多くのよろこびがある。
そこで私がいかに熱く、100%で生きられるかが、一番の問題なのである。
人生の最終章に向けて、納得のいく生涯をすごすために、私は叫びたい。
「あきらめをなくし、生きるよろこびの輪を創る」
それ自体が、私の生きるよろこびであるし、私の使命であるから・・・。
昼からは、創業ネットワークに参加して、いろいろな気持ちを味わいながら会を進めた。
そこにも、いろいろなハートがあってお互いに震えあっている感じがした。
分かったことがあるのだが、思い切って自分が責任を持つことで、
自分自身も会に参加している人も変えていくことができるということである。
ある方の発言から、プラスのエネルギーが広がっていくのを感じた。
私もそんなエネルギーを提供できる人になりたいと思った。
今日も自分を承認してみる。
「怖いと立ち止まるのでなく、その怖さを吹っ飛ばすくらいのエネルギーを持っているね。」
といってみた。
「いつでも、どんなときでも自分自身のセンターコートにたって、その空気を味わって欲しいな。」
と返って来た。
自己満足ではなく、周りの人を勇気付け、よろこびを創る自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。
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