第255号:つながり。

3日間の研修を終えて、次の朝は東京で向かえた。
本来、研修終了後、そのまま岡山に帰る予定だったのだが、
築地の義理の父と食事をすることになったため、もう1泊することになったのである。

築地の父は病気に犯され、ある一定の時間しか元気に過ごすことが出来ないのである。
そんな人が滞在2日目の朝に夕食を一緒に過ごしたいと言ってくれた。
そして、後取りの長男である同い年のニーチャンにも声を掛けて、すしを食べに行った。

そうすると、昨日のような気付きが降ってきたのだが、
築地の父のエネルギーをしっかりと受け取ることが出来て、心にパワーをもらったような気がする。
通常なら20時までしか動けないのに、20時10分まで元気な姿でいてくれた。

普段は病気のせいで言葉が不明瞭なので、あまりしゃべりたがらないのに、
一生懸命に何かを伝えようとしていた。
目に力があって、うったえるようで、かつ、力を込めて・・・。
そんな築地の父を、経営者として、あるいは、家長として心から尊敬し、誇りに思った。

朝は、築地の両親とそういうわけで、しっかりと会話を味わい、思い切って飛び出すように、
岡山に出発した。
その暖かさに心が震えていた。

だらだらと東京駅に向かった。
新幹線に乗ってからは、名古屋くらいまで寝ていた。
それ以降は、妙に脳がさえて寝られなくなり、昨日の気付きについてより深く感じていた。

「今、私が生きている実感を感じている。」

目に見えるもの全てを、味わいつくしたいと思った。
その人が本当に望んでいること、何によろこび、悲しみ、恐れているのか・・・。
新幹線に乗っている人の表情を見つめた。
本当に、小さなエネルギーが動いているのを感じる程度であった。

やっと、最寄の駅に着いた。
妻と息子が迎えに来てくれたのだが、ちょっと待たされてイライラした。
待たされるという自分が尊重されていないことに端を欲するニーズには
研修の効果もかなわないなと思いながら待っていた。
久々の家族との対面であったが、本当に久々と言う感じがして、違和感があった。

今日は敬老の日であり、夕方は家族と一緒に食事をした。
おばあさんは91歳、父は69歳である。
2人とも孫、ひ孫と一緒に過ごすこの夕暮れが本当に生きる喜びなんだと思った。
じわっと、その想いを感じてみると、得も言われる暖かさが伝わってきた。

そして、私は耕と龍をだっこしたり、抱きしめたりしていると、
本来の血の通った自分に戻るような気がした。
ある意味、家族の元を離れて参加している研修も中毒のようなものなのかなと思った。

また、妻とは結局多くの言葉を交わすことが出来なかった。
懸命に片づけをしていたからである。
今回の研修の成果についてどこかで捕まえて話をしてみたいが、
だまって研修に行かせてくれて、
子供たちと格闘しながらも文句一つ言わない妻に感謝するしかないと思った。

夜は愛しいクライアントからメールが届いた。
研修の内容や気付きを伝えていたら、この上ないような承認のメッセージが届いた。
一緒の時間を生きている意味のようなものを感じた。

今日も自分を承認してみる。
「人の温かみの中で、生きている実感をしっかりと感じられていたね。」と言ってみた。
「きっと、それが自分がもらっている愛なんじゃないかな。」と返って来た。

お互いに生きていることを味わい、深いつながりを感じながら言いたいです。
今日もありがとうございます。
一緒に生きて行きたいですね。

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