第244号:走る。

昨日の余韻で久々に普通の朝を迎えることが出来た。
どちらかというとむしろ、心地が良い位でしばらくじっと寝ていたかった。

今日も1日タイトなスケジュールであるが、移動距離が長いので、
ゆっくりと思索の森の中を歩くことが出来たのがうれしかった。
というより、ぼおっとしているだけなのだが・・・。

最近、いろいろなものに囚われて、自分の心をフリーにすることが少なくなった。
一定の枠組みの中で、ぐるぐる回っているような気がする。
この際だから、もう一度、ドッカーンとその枠組みを吹っ飛ばしてみたくなる。

そんなことを考えていたのだが、そういえば昨日の夜からジョギングを再開した。
今日もさっき軽くだけど走ってきた。
(夕方、空手だったので、あまり体力が残っていなかった。)

「私は今までどんな時に走ってきたのだろうか。」

普通の人には不向きな質問だ。
セルフコーチングならではの自分を知っているからこその質問である。
(ISOでいうと内部監査みたいな感覚なのだろうか。)

1.中学校のときに自ら走るということをはじめた。
 テニス部に入り、最初は3年生の先輩のいじめのようなトレーニングを受けた。
 勝ち抜けダッシュやサーキットトレーニングという形で無理やりやらされていたが、
 いつの日か、先輩や先生の熱い想いを感じることができ、
 走ることに前向きに取り組んだ結果、苦手を克服できた。
 だから、苦手なものに立ち向かう時がある。

2.高校のときも山の中を走り続けるクロスカントリーの名物コースがあった。
 高校でもテニス部に入り、仲間と一緒に楽しみながら走ったり、
 ある時はどっちが早いか真剣に勝負したりしていたように思う。
 そして、家に帰って夜中に走ったりするようになった。
 当時ちょっと太り気味だった私は、少しやせて、顔をスッキリさせたかった。
 そして・・・、好きだった子にかっこいいって思われたかった。
 好きだった子に、かっこいい人と付き合っているという満足感をあげたかったのもある。
 だから、自分の理想を手に入れたい時がある。

3.大学のときは硬式のテニス部を通じて最も多く走った。
 大学時代は始めて岡山を離れて、いろいろな価値観を持つ人と会うことが出来た。
 その中でテニス部に入部したわけであるが、非常に厳しかった。
 しっかりとした目的や狙いを背景に、ハードなトレーニングを日々こなしていく。
 そんな中で先輩たちは自分の背中で走る意味を教えてくれた。
 まさにリーダーシップであり、私はその先輩の生き方にあこがれていた。

 大学3年生のとき、私は部長という大役をおおせつかった。
 自分で言うのもなんだが、他のどんな先輩より厳しかったと思う。
 自分自身にいつも甘えるなっていってた様な気がするし、
 一生懸命であることが大切だという信念を初めて明確に感じた時だったと思う。
 そして、他のどの代よりも素晴らしい充実した1年にしたかった。
 今までの先輩方との対抗意識もあったかもしれない。
 自分の価値観を表現したい時であり、
 そして、前向きに体力と精神力の向上、集団を統率する時がある。

 大学のなかで最も多く走ったのは、大学4年生の合宿である。
 練習内の通常のダッシュとは別に、1人で毎朝7日間約14kmを走った。
 最終日は、山中湖マラソンと言うのがあり、みんなで走るので2周走った。
 極限状態だったが、得も言われぬ満足感や充実感があった。
 自分は他の人とは違うということを表現したい時がある。

 もう終わりかなと思いきや、まだあった。
 O乳業を退職し、B社という販促会社に入るとき若干の時間の余裕があった。
 その時、大学に戻り、何日間か練習に参加させてもらうことになった。
 もちろん、練習の中でも本気で走るし、龍澤寺へも走っていった。
 この時、極端なカロリー不足で動けなくなってしまったのを覚えている。

 そして、更に馬鹿なことに、24時間放送で赤井英和が100kmを走破したのに感化され、
 三島から横浜の家に帰るのを走って帰ることにした。
 真夜中の国道2号線、箱根の峠を走って越えることが出来た。
 足の裏が地面につくだけで悲鳴が出るほど痛かった。
 初めて転職し、単なる営業から自分でスキルを持った人間に変りたいという意思があった。
 つまり、新しいことに挑戦しようとしている時がある。

 未だ続く。
 その就職した販促会社はリストラでクビになった。
 また時間が出来てしまったのだが、岡山に逃げ帰るのではなく、
 もう一度広告の業界に入って、リベンジしたくて就職活動をした。
 就職の赤本を買い、大手は電通から小さいところでは20人程度の会社まで、
 その本に書いている全ての会社に手書きの依頼状を出した。
 その時、毎日慶応大学のグランドの周りを走っていた。
 走っているとき、「みてろよ。絶対にすごい広告マンになってみせる。」と腹の底で叫んだ。
 困難に立ち向かい、出来ないことは絶対にないし、あきらめてはダメだと思っていた。
 結局、5社の内定を得た。

 この時、紆余曲折の結果、現在の妻とお付き合いをすることになり、
 連絡が取れなくて、やきもきしながら走っていたのも思い出した。
 でも、絶対にやってみせるという想いや、それから、
 就職先が決定したときのよろこびを共有できたのがうれしかった。

 将来の理想をしっかりと見据えて走っている自分がいた。
 そう、熱い想いを掻き立てる時があると思った。
 
 そして、岡山に帰って来た。
 第2子が生まれる頃、今は兄貴となった耕と一緒に走った。
 自分が走るということでとても苦労したので、苦労させたくない一心で一緒に走り始めた。
 本当に素直で可愛い耕は、おとうさんと一緒にいたくて、誉められたくて走った。
 坂道でも最後まで走りきったら、汗びしょびしょなのに抱きしめる。
 「最後まで走ったね。」って・・・。
 その後、出産のため妻と耕は東京に行ってしまったが、1人で走る癖がしばらくあった。
 これはダイエットもあったし、ビジネスが順調に推移しているのを、
 更に伸ばして行きたいという決意もあったと思う。
 これは、父として、経営者としての決意だろうか。

人生の節目節目でなぜか走るということに向き合ってきた。

「今回、走り始めた意味は何なのだろうか。」

  1. また新たな挑戦が始まる
  2. 贅肉をそぎ落とす
  3. 雑念を振り払う
  4. 自分の想いを強く感じる
  5. 困難に立ち向かう

書いていて思ったのだが、今までの走ったときと比べて、覚悟が弱いように感じた。
新しいビジネス展開により、自分の理想を実現したい。
「絶対にやってみせる。」というか、「絶対に出来る。」
そんな想いを高ぶらせ、折れることのない、熱いハートを育てるため走りたい。
今回は、それが一番走る意味になるのかもしれない。

今日も自分を承認してみる。
「自分の想いを実現することに、全てをかける覚悟が育ってきたね。」といってみた。
「まだまだ本気じゃない。全てをかけてみろよ。」と返って来た。
走るという苦手に立ち向かってきたように・・・。

全てのことにポジティブに、そして、立ち向かう熱いハートで言いたいです。
今日もありがとうございました。

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