第202号:悲しみ。

今日も早朝ではないがミーティングがあった。
車で走っていても、居眠りしそうで本当に怖い状態であった。
いつも以上に意識が遠のくのが解る。

このまま反対車線に飛び出して、正面衝突すると、たぶん自分は死んでしまうだろう。
そんなときに、悲しんでくれる人はどれくらいいるのだろうか。
私がもし死んでしまったら、誰がどんな悲しみを感じるのだろうか。
そんな馬鹿なことを今日は考えてしまった。

そういえば、子供の頃に、死んでもいない父の遺影やお葬式のシーンで、
妙に悲しくなってしまったのを思い出した。

「悲しみとは、どのようなときに起こるものなのか。」

  1. 大切な人を失ったとき
  2. 生きて別れたとき
  3. 死別したとき
  4. 自分自身のことをかわいそうに思ったとき
  5. 自分のことを認めてもらえないとき

大きく分けると2種類の悲しみがあるのがわかった。
私の場合は人が中心であるが、好き、愛しい、かわいい、自分のことを好きでいてくれた等、
自分にとって大切な人や物や事を失ってしまうときに悲しみは発生する。

そういえば、大学生のときまで本気で取り組んできたテニスであるが、
社会人5年目くらいに、学生と同じような気分でテニスして、
肩の筋肉を故障して出来なくなってしまったときに、悲しくて仕方がなくなったのを思い出した。

あと、大学に入るときに、高校時代にお付きあいしていた彼女がホームまで見送りに着てくれた。
新幹線が動き出すと、手を振りながら走って追いかけてくるのを見ると、悲しくて涙があふれた。
その子の想いを感じると、死にそうになるくらい切なく悲しい。

東京時代のお客さまで、私がリストラされたときに助けてくれた方と飲みに行き、
転勤を告げられたとき、もうお会いすることが出来ないと思うと悲しくて仕方が無かった。
本当に信頼し、心を許していたのだろう。

逆に自分自身をかわいそうに思ったときのパターンでは、
子供のとき、母がいなくなって、自分がかわいそうで・・・。
悲しくて涙があふれたのを思い出した。

そういう意味では、上記のものが私が経験した印象深い悲しみである。

死別や決別、意図しない別れなど、別れは悲しみを伴うのである。
その人を思う気持ち、その人から思われる気持ち、もっと楽しみたいという気持ち、
いろんな気持ちが交錯して、ぐちゃぐちゃになって、訳がわからなくなる。

決別であれば致し方ない面もあるのだが、いつ、意図しない別れがあるかもしれない。
だからこそ、一期一会で生きて行きたいし、その瞬間を、今を100%で熱く生ききるのだ。

そして、人とわかり合う、その人の存在をしっかりと受け止めることが大切だし、
相手をディスカウントして、存在を否定したり、拒絶したり、放棄したりしてはならないと思う。
十分なコミュニケーションで、納得するまで話が出来るのが一番良い。

実は今日私は、そんな悲しみの中にいる。

その悲しさをじっくりと味わってみる。
その悲しさはどこから来ているのか・・・。
相手の想いをしっかり感じて、逃げることなく悲しみと向き合ってみる。

苦しくて、切なくて、張り裂けそうになる。
そして、思いっきり泣いてみる。
その悲しさが消化されて、何にも囚われない静かな心になるまで・・・。

そして、私はエネルギーを生み出し、自分のビジネスを本当の意味で成功させるのである。
その悲しみに償うためにも・・・。

自分を承認してみる。
「想いをしっかりと感じて、逃げることなく向き合えていたね。」といってみた。
「それが、自分の強みだし、更に強さにつながるよ。」と返って来た。
「怠ったりすることなく、熱く生きているんじゃないかな。」

この世に生きて感動できる自分に感謝して言いたいです。
今日もありがとうございました。
またお会いしたいですね。

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