第189号:真理。

今日は早朝ミーティングだった。
昨日ほどの胸の痛みのようなものは和らいだが、
久々に空手の練習に参加したせいか、ちょっとした筋肉痛を感じている。

眠気もそんなに強くなかったが、なんとなく、自分の考え方が理解されず、
ちょっとした欲求不満状態を感じた。

この状態になると、後で振り返ったときに、私の心はヒリヒリし始める。
結局、自分のニーズが立ち上がり、相手のことが理解できなくなるからある。

コーチングの場合だと、完全に聴き切り、受け入れるモードなのだが、
コンサルティングの場合は提案もあり、そのことについてこだわりがある時がある。
もちろん、受注という自分のメリットを生み出すことの場合もそんな状態となる。

自分にとっては辛いことに、欲求不満状態が自分自身の自己イメージと対立する。
どうしても起こってくる欲求不満状態と、自分はそうありたいということの対立である。
想いで生きるか、ニーズを満たすことで生きるかである。

まさに、自己矛盾が起こっている。
師匠はそのことについて、時折り指摘してくれる。

更に、自分が正しいと思うことが受け入れられないということに焦点を当てると、
私にとっての事実と、相手にとっての真実は異なるということが起こる。

その中には、私は「~すべき」という強い信念も存在していることが解った。
それは、私自身にもいつも言い聞かせていることだったり、
コンサルティングをしていく上でも軸ともいえる部分だ。

師匠には反論されることもあるが、私のこの経営に対する考え方は真理であると思う。
相手のために、こうした方が良いと心から思うことが良くないことを起こす。
これが、コミュニケーションを窮屈にしてしまうのである。

つまり、事実、真実、真理という言葉の狭間でのせめぎあいが起こるのである。

事実とは、起こっている事柄自体であり、誰が見ても同じものである。
真実とは、事実を見た結果、誰がなんと言おうが、その人にとっては正しいことである。
真理とは、この世の中で、唯一、誰にでも正しいことである。
本来、辞書をひいて正しく書くべきであるが、頭にあるものを書いてみた。

「私は、どうしたらいいのだろうか?」

私が、真理であると思って伝えていることを、その人は受け取れないのだから、
「~しなければならない」というのを、「~したほうがいい」位に置き換える必要がある。

また、「この人は受け取れない」という判断をすると、どうしても、その人を値引してしまい、
尊敬と祝福の関係が作れなくなってしまうのである。

自分が受け入れられないということ、損得勘定が邪魔をしているかもしれないと思った。
ただ、自分のニーズが存在していることを自分で良く知っていると、
いろいろなことが起こってきたときに、あわてずに受け入れられると思った。

その後は、ある社長であり、師匠である方と打合せをしたが、
プロダクト・ポートフォリオ・マネジメントを説明すると、気づきがあったと感心してくれた。
それ以上に、私に対しても承認してくれた。
とにかくうれしかった。

今日も承認してみる。
「自分が承認されたことに、しっかりとよろこびを感じられていたね。」
「素直な感じがいいね。」と返って来た。

自分の信念も大切にし、でも、相手の本当に望んでいることを大切にしながら言いたいです。
今日もありがとうございました。

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