第180号:痛みと共に。

今日は早朝ミーティングで出かけた。
昨日の夜、更に乗り越えた壁が、自分にエネルギーを補充している。

前向きな心だろうか、それとも、戦う心だろうか。
これってひょっとしたらストレスホルモンがバリバリに噴出している状態かも知れない。
自分にとって望ましくないことが向かってきても、グッと心に力を入れると、
それがエネルギーに変化する。

だからといって、独りよがりな状態ではない。
だからといって、無理をしているわけでもない。
相手がいる場合は、その人のことを深く感じて何とかしてあげたいと思う。

そして、胸に手を当てると生きていることの証である震えを感じる。
木々が緑色に燃えているが目に飛び込んでくる。
音楽の音色やリズムが胸に染み渡る。

春や秋の空が澄み渡って、そのせいか、見るもの全てが美しく見えた日を思い出した。
昔のそれは、自分から望んで創ったものではなく、
お天とさまや、人から与えられたものという印象が強かったが、今回は違う。
自分で作り出している。
自己コントロール感が強い。

ちょっと話が変わって、
恥ずかしい話なのだが、またも空手の組手の練習の中で負傷してしまった。
前回は水月付近で、ちょうど肝臓の上付近の肋骨が骨折したと思われるが、
今回はもう少し上の辺りで、右の胸の付近である。

月曜日に負傷し、火曜日はそんなに痛みを感じなかったのだが、
前回と同じように、水曜日には、時折り体が伸ばせないくらい痛みが強くなった。
今回は、骨というより、いわゆる肉離れのような感じがする。

ということで、体を動かした時、右胸に痛みが走るのである。

「この右胸の痛みの中には、何が潜んでいるのだろうか。」

  1. 自分の状態をわかって欲しいという気持ち
  2. 相手に対する甘えや、自分に対する甘え
  3. その時もっている悩みや苦悩
  4. 自分を嘲笑する気持ち
  5. 生きているという実感

まさに、普段の自分そのものである。

でも、今の自分には、この痛みそのものもエネルギーに変えられる様な気がする。
痛みと共にいて、それを味わうことに心地よささえ感じる。
この痛みがあるからこそ生きていて、人を理解し、受け入れ、
支援したいという気持ちになれるような気がする。

「あきらめを無くし、生きるよろこびの渦をつくる。」という私の想いも、
実は、今まで生きてきた中の痛みとそれに立ち向かうことで出来ていると思った。
そして私は、勇気、行動、感動を提供するのである。

今日も承認してみる。
「相手の気持ちを全て受入れ、望みを感じてあげられていたね。」といってみた。
「素晴らしかったぞ。」と返って来た。

私はどんな人でも、その人の望みをかなえてあげられると、信じながら言いたいです。
今日もありがとうございました。

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