第174号:責任を持つ。
今日は早朝ミーティングがないので、朝からゆったりである。
とはいえ、ISOの審査立会いで、8時には出発した。
車で5分くらい走ったところで、ちょっとした心の疲れを感じている気がした。
昨日と同様に、コブクロのCDをかけながら心を震わせて見る。
左手を右の鎖骨付近に当てて、自分の胸の中の声を聴いてみる。
水曜日のミーティングのときの自分の不甲斐なさがこみ上げてくる。
自分に何が出来るのか・・・。
どういうやり方が良いのか・・・。
やっぱり、口頭だけでなく、見本や手順書が要るのか・・・。
型にはめすぎてよいのか・・・。
責任を持たせなくて良いのか・・・。
いろいろな質問が湧いてくるが、どれもあまり前向きに捉えてないような気がした。
ひょっとしたら、ここが自分の問題点かもしれない。
ひょっとしたら、自分は悪くないかもしれない。
コーチやISOコンサルタントならば、相手の自主性に任せたほうが良いかもしれない。
解らなければ、解るまでやったらよい。
等と、言い訳なのか、本当のことかが不明確な状態を行ったりきたりする。
これは、自分のポリシーとも関係のある部分なので、ぶれないようにしたい。
そうすれば、お客様もスッキリするし、自分自身も迷わなくて良いと思う。
そう、一番いいのは、手順書なども準備しておきながら、
人に合わせて対応するのが最高だと思った。
さて、車の中にいれてあるクリアフォルダの自分の理念や行動基準を読み返してみる。
さらに左の手を胸に当てながら、自分自身を感じる。
心が静かになる。
胸の奥に暖かいものをかすかに感じることが出来た。
さらに、頭の前のほうに何かが集まってきている感じがした。
ちょっとだけ、しゃんとした。
今日は、結局、企業でのミーティングやセッションは2件だけであったが、
経営者の方とかかわりを持つ中で、コンサルタントの限界というのを強く感じた。
例えば、問題解決のための計画を立てる。
分厚い計画書を置いてかえっても、まず、実行することが出来ない。
「何が障害となって、実行できないのか。」
- 自分の納得や理解がないこと
- やり方がわからないこと
- 今のままでありたいという潜在意識
- やっても無駄だと感じてしまうこと
- そもそも計画を立てる理由がお金を借りるためだけのものであること
結局は、責任や覚悟を感じられていないということではないか。
やるという不退転の気持ちになってこそ、モチベーションも行動も生まれるのではないか。
だから私はコーチでありたいのである。
今日の私は、師匠にも言われたが、いきなりそこに踏み込んでいったようだ。
「私たちは可能性を感じるし、あなたが好きだけど、あなたは本当にやるのか。」
というような問いかけをした。
師匠も同じように感じていたようだ。
更に師匠は、今回の取り組みの先にある魅力的な姿をイメージさせた。
これも、私もしようと思っていたことだった。
師匠と私のものの捉え方や大切なことという点で一致しているということも気付きだった。
本当に多くの気付きが生まれて楽しかった。
更に、車の運転中にマネージャーのように、師匠からいろいろな確認項目を投げてもらった。
まさに、コーチである。
その中には、目の前の意思決定から、中長期の意思決定まで多岐に渡っている。
極力、自分の理念やビジョンに沿ったものを即断しようと心がけた。
大きくなる会社は、このような実務支援や意思決定支援が出来る人が必ずいる。
師匠に“右腕”というと大変失礼なのだが、そんな気がした。
この“右腕”がありながら成功しなければ、私も相当とろいということになるだろう。
自分自身が責任を持って進めて行きたい。
それはともかく、とにかく感謝である。
私の周りにいる人にしあわせを提供するために、少しでも価値を膨らませたい。
今日も承認してみる。
「相手を信じ、しっかりとつながり、本当に相手が望んでいることを実現するための
コミュニケーションが出来ていたね。」といってみた。
「もっと、望みを感じたり、受け止めたり、いいところを探したりしてみたら。」と返ってきた。
一人一人の命のふくらみを感じながら言いたいです。
今日もありがとうございました。
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