第130号:逃げるな。

今日も恒例の早朝ミーティングであり、眠い目をこすりながらの参加となった。

昨日のブログには書かなかったのだが、実は空手の練習に行き、
練習の最後の組手で、先生の後ろ回し蹴り(たぶん)を右わき腹に受けて倒れたのだった。
耕を乗せた帰り道では、肝臓付近が痛く、家に付いた瞬間に吐いてしまった。

ということで、あばら骨が痛くて、眠れないし・・・。
おまけに決算の処理も大詰めを向かえ、会計事務所のSさんが着てくれていて、
時間が遅くなって睡眠時間が短かったのもあるし・・・。

ということで、今日もまだまだアバラ骨がずきずきしていて、かつ、眠たくて仕方がない。
調子が悪いわけではないのだが、また、悪い状態に引き戻そうとする力が働いている気がする。
朝からその力に負けずに行こうと、自分の心をコントロールしようとしているのに気が付いた。

今日はある会社でISOの定期審査があった。
審査機関はJIA-QAセンターだったが、この審査機関は非常に審査員のスキルのばらつきが大きい。
いうことや、やることが審査員ごとに違うし、先日他のところではアプリケーション設計なのに、
設計・開発まで入れさせられてしまった会社もあった。

今回もほっといたら、好きなことを言うだけ言って帰るという雰囲気だったし、
受審側の担当者も肝心なところで、言うべきことを言わないでなき寝入るという雰囲気だった。

「審査の何が問題だろうか。」

確かに審査機関の選定にも問題があるし、十分にシステムを運用できていないということも問題だ。
それもそうなのだが、審査を受ける姿勢そのものに問題があるような気がする。

「逃げる、隠す、取り繕う」

以前の品質システムとしてのISO9000シリーズの時によくささやかれた言葉だ。
システム運用の結果としての記録があるかどうかを中心とした会話が行われ、
組織の問題点や有効性の改善について焦点が当たっていない。
結局、問題に対して前向きな会話がなされない。

問題は逃げるほど追いかけてきて、大きく成長する。
解決しない限り、必ずその根は残り、大きな問題の花を咲かせる。
これは、悪いサイクルに入っていくときの私の典型的なパターンである。

ISOのみならず、普段の生活やビジネスにおける未完了や妥協も同じ原因によって生じる。
「逃げる」のではなく、「立ち向かう」ことで、根本治療したいものだ。

最後に、「今日は、あきらめをなくすという言葉を胸に、しっかり勇気づけられたね。」
今日も思いっきり自分を承認してみる。
やっぱり、そこに生まれる感情は、「尊敬と祝福ができていないことへの反省の念」である。

再度、大きな、懐の深い、「展覧会の木」のようなイメージを取り戻そう。
そして、周囲に存在するすべてに、「生きるよろこびの渦」を創ろう。
熱いハートと優しく包み込むハートをブレンドして言いたいです。
今日もありがとうございました。

«
»
 

トラックバックURL

コメントを書き込む