第126号:拒まず。
ひさびさにゆっくりと寝られた朝だった。
早朝ミーティングもないし、今までの強い未完了感も和らいでいる。
朝からたまっていたブログを書いて、これもすっきり感につながっている。
今日は、出会いと別れを感じた。
お互いに尊敬と祝福が感じられる関係になることもあれば、
必然的なように溝が開いていくような関係もある。
不思議なものだ。
このことを振り返ってみると、自分が今までしてきたことというのは、
むしろ、自分から大きな溝を掘ってきたようなところがある。
「どのような状態だったのか?」
- まず、何かを恐れて、自分のハートを大きく広げて、自己開示をしない。
- あと、自分の我が強く、本質的に相手を受け入れられていない。
- 別れを異常に恐れる反面、人との関係を大切にできない。
- なんとなく、自分の感性にフィットしないものはパスする。
最近テーマとして取り上げている、「味わう」とか、「受け入れる」とか、「自己責任」とかと、
全く違う人生を歩んできたのが解る。
ある意味、「今を100%で生きる」、「熱く生きる」とかというのは、部活動を通じて実行してきた。
が、そのことは、「自分の我を通す。」ということであり、人との関係を生み出すものではなかった。
つまり、「一期一会」が実践できていなかったと心から感じる。
人が生まれ、いろいろな人の愛情を受けて育てられ、助けられて来たのに、
自分だけがもらって、誰にもあげることがなかった。
出会いとそこに生まれる感情自体が生きる意味なのに・・・。
もっと、もっと、してあげられることがあるはずだ。
コンサルティングやコーチングなどのビジネス展開している自分にとって、
今でも「あげることは、自分の得を生み出すための損」という感覚が起こることがある。
あげたら、もらわないと・・・見たいな感覚である。
ここは、「してあげることこそが生きる目的」として、ぶれることなくゴールに向けて歩みたい。
あと、父が良く使う言葉だが、「来るもの拒まず、去るもの追わず」という言葉がある。
仕事をしていると、いろいろな人が近づいてきたり、離れていったりするが、
いろいろなニーズや価値観を持った人がいるので、これは仕方のないことだと思う。
私は、「来るもの拒まず、去るもの追わず」を実践して行きたい。
自分で描いた展覧会の木のように、誰にもたれかかるわけでもなく、要求するわけでもなく、
しっかりとした恵みを提供する大木のようになりたいとあらためて思った。
今までの自分のいたらなかったことをかみ締めながら言いたいです。
今日もありがとうございました。
また、来てくださいね。
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