第112号:体調不良。

今日は真夜中から腹痛となり、幾度となく起きたため眠い。
というか、体調不良である。

こんな時こそ自己管理する必要があると感じ、お互いに心象の悪い状態にならないよう、
午前中の打合せは本当に手短で簡潔に終了させた。
だからといって会話が不足しているわけでなく、ゴールに向かってまっすぐという印象を受けた。
こういう打合せも日常業務の中で、効率的に意思決定するような場合は非常に良いと思った。

昼いったん家に帰っても、相変わらず体調不良である。
振り返ってみても、何が原因で、何が悪かったのか良くわからない。
ただ食べ物によるものでも、風邪によるものでもないような気がする。
気合を入れて外出していれば、問題が発生しないような気もする。

ということで、昼からは師匠と共に今日もロングドライブである。
いろいろな会話を楽しみながら、車に乗っていくのが本来楽しみなはずなのだが、
今日はちょっと違った。

いろいろな会話をするのだが、体調不良の結果、相手の声が耳に入らないし、
自分の体調が悪いというテーマの枠組みの中で、聴き、発言し、感じ取り、
どうしても私が大切にしている相手の“想い”を感じることができないし、
もっというと、自分の“想い”も吹っ飛んでしまう。

ただただ、自分がしゃべりたいのは体調が悪いということであり、
相手にとってははなはだ迷惑な状態である。
おまけに、助手席に乗った私はいい気なもので、夜寝られなかった分ずうっとうとうとしていた。
このことについては、本当に身勝手で、相手の立場を考えていない不届きなやつである。
その時間を生きるための自己管理が全くできていない。

「自己管理された状態とは、どのようなものなのか。」

  1. 相手の立場に立ったコミュニケーションができている
  2. 自分のニーズを満たすことだけに焦点が当たっていない
  3. 自分の本当の想いを常に胸の中に感じている

以前、コーチングラボウエストの「人生の展覧会」という研修の中で書いた、
大木のイメージを思い出した。
自然にどっしりと立ち、その木の枝にはいろいろな動物や昆虫が集まり、
大木はただただ静かに立ち、周囲の想いを深く感じている。
自分から強く要求したり、非難したりしないし、自分を守るためにスイッチも入っていない。
あるがままの状態である。

師匠は車で走っていると、「寝てていいよ。」といってくれた。
私は少しでも起きて、会話をしたり、退屈させないようにしたかったのだが、
どうしても体調不良と睡魔に勝てず、失敬してしまった。
師匠のようにあっけらかんとして、かつ、相手を自然に気遣うような人になりたいと思った。

体調不良を言い訳にしないで、しっかりといろいろなことに向き合える自分になりたいです。
今日は、静かに感謝の気持ちを持って言いたいです。
ありがとうございました。

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