第76号:尊敬と祝福Ⅱ。

朝から息子の空手の試合ということで、県南部にある体育館に向かった。
どうしても朝から家族で出かけるということになると、怒号が飛び交うことになる。
妻は息子に「早く食べなさい」、「自分で準備しなさい」といいながら走り回る。
私もついつい息子に「いいかげんにしなさい」といってしまう。

その上、朝家をでるのが遅くなると、私は妻に「結局お前が遅いんじゃないか」といってしまう。
妻の負荷が朝は高いというのを知っていながら・・・。
その結果、行きの車の中は最悪の雰囲気で、ピリピリ、ジメジメといった空気で汚染される。

今回はもっと悪いことが起こった。
行き先を誰も調べずに走り出してしまった。
解っているのは、岡山市升田、六番川水の公園ということだけだ。
何人かの方に連絡して確認しようとしたが、なかなかつながらないし、
その住所や公園の名前を結構知らない。
ますます、不安とイライラが車中に走る。
今向かっている方向が正しいかどうかさえも解らない。

やっと、調べてもらって場所がわかった。
結局、今走っている道は、正しく、全くロスもない経路だ。
そして私は選択した道に満足し、どうだといわんばかりのお父さん振りを発揮した。

そして、会場に着き、試合となったが、息子は幼年の部に出場し、1回戦しこ突きで敗退した。
さすがに負けたことを咎めはしなかったが、なんと言っていいかわからなかったので、
ひとつだけ言ったのは、「声が小さい、もっと大きな声で!」ということだけであった。
息子は比較的飄々としているので、あまり苦痛な顔はしなかったが、
瞳の奥では寂しそうな気持ちと、そして、受け取りたくないという気持ちが感じられた。

命を燃やして、大きな声を出して、ベストを尽くすということを、なんとか伝えたかったので、
一緒に試合を見ながら、「真剣なまなざしがすきなんだよ。」とか、
「大きな声を出すのは本当に気合が入っているんだ。」とか、
いろいろな伝えたいことをしゃべった。

その中で、同じ道場の女の子が優勝した。
その子は、背が小さいのだが、立ち姿、座っている姿、手刀を見つめる瞳、
全てがスッとしていて素晴らしいのだが、ここまでの努力を感じるとまた感動する。
本当に祝福したいと思った。

さらに、昨日ある場所に忘れ物をしていたので、時間で閉まってはいけないと、
試合が終わるとそそくさと試合会場を後にした。
皆は会場に残ってしゃべったり、遊んだりしているようだ。

書きながらいろいろと自分を振り返ってみた。
そこには、自分の理想とは程遠い自分がいた。

今日はまったく尊敬できていない。
自分の理想に近いものだけ、祝福している

親が子供にこんな風に生きて欲しいというものを提示する権利を持っていたとしても、
否定的な視点で、関わる権利は持っていないはずだ。
胸が痛んだ。

自分の思いではなく、相手の心に矢印を向ける、そして、一体になる。
これが愛だと思った。

ちょっと落ち込んでしまいそうですが、まだまだ成長できることがいっぱいあります。
希望を持って生きて行きたいです。
今日もありがとうございました。

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