第73号:尊敬と祝福。

先日のコーチングラボウエストでの本山会長のレクチャーの中で、
人生を“尊敬と祝福”に満ち溢れたものにして欲しいというような言葉があった。
正確には表現できないけれど・・・。
本当にそう思った。

今日は朝は内勤、昼からはお客様のところ、夜は打合せとなった。
仕事をしていると、どうしても納得がいかないことやうまくいかないことが起きる。
その時に「人を責めてしまう」、あるいは、「自分を責めてしまう」という現象が起こる。

もっというと、その人の存在自体を否定してしまったり、
その人の存在自体をディスカウントして、小さく、軽く、価値のないものにしてしまう。
“軽侮と無視”という言葉が浮かんだ。
完全な反対語になっていないのは容赦していただきたい。

人は“軽侮と無視”によって、どのような感情が生まれ、どのような結果が生じるのか?
そもそも人は“軽侮と無視”という結果を得るために生まれ生きているものなのだろうか?

かくいう私も、自分に都合が悪くなると、“軽侮と無視”という感情が起こるときがある。
その感情に納得して、自分自身や相手を責めたり、傷つけたりすることがある。
調子に乗っていかにも評論家のように評価したり、値踏みしたりする。

「“軽侮と無視”の感情には、どのような意味があるのか?」

  1. 自分に都合が悪い
  2. 自分のリスペクトを守りたい
  3. 自分はすごいと思いたい

子供が泣いている。
自分の存在を主張するために・・・。
じっと瞳の奥まで味わってみる。
まっすぐ愛して欲しいというメッセージが伝わってくる。
その子供が育ち、人生のイベントを迎える。
そのときには、自分のことのように祝福できるだろう。
生きているということに。
その全ての気持ちを味わい受け入れることが、“尊敬と祝福”ではないだろうか。

そして、“尊敬と祝福”に満ち溢れた人生にするために
私は“軽侮と無視”の感情を一切排除したいと思った。

いろいろな想い、いろいろな感情、いろいろな生き方、
この多様性を受け入れ、深く感じることこそが、「生きるよろこびの渦」を創ることだから・・・。

昨日の覚悟がより具体的になったような気がします。
今日もありがとうございます。

追伸
鉄じぃさん、ありがとうございます。
話しているとお気遣いがうれしく、安心します。
もっといろいろな人にこんな気持ちを広げて行きたいですね。

«
»
 

トラックバックURL

コメントを書き込む