第15号:本当に苦しい時。

私は、ある大学の体育会の硬式テニス部に所属していた。
同期がいなかった関係で、部長までさせていただいた。
部長をしていた時には、それこそ“おに”と言われて、理不尽なほど厳しかった。

なぜ厳しくなったかというと、理由が何点か考えられる。
①厳しく、かつ、魅力的な先輩がモデルとなっていたから
②その中で、“一生懸命”という価値観が育まれていったから
③厳しさこそが、人を駆り立て、まとめる方法だと思っていたから
④組織に対して、自分のコントロール感が楽しかったから

今振り返ると、理由が訳わからないし、本当に良くやっていたなと思う。
当時は体力もあったし、動き続けること、声を出し続けること、
自分の心と身体にとっては、たいして負担なことではなかった。
もちろん手を抜いていたわけではなく、厳しくしていたからである。
例えば、声出しでは声がかれるくらい、練習量では過呼吸で倒れる人が続出するくらい、
合宿では、山中湖を毎日1周走ったりという具合だ。

今日は、例によって耕之助と一緒に空手に参加したが、寒いこともあり、
体力トレーニングを中心としたメニューであった。
正直トレーニングが、久々に本当に苦しいという感覚であったため苦悩した。
そんな中、仕事柄出来るだけ冷静に味わってみることにした。
学生時代の苦しみとはちょっと異なる感じがした。
一番の違いは、増えすぎた体重と運動不足であるのは間違いない。
が、それだけではないような気がする。

「苦しさと付き合うためには、何が必要なのだろか?」

やはり、ポジティブな心だろう。

苦しさの極限になると、「もうだめだ」とか、「早く終わんないかな」とか、
というメッセージが自分に言い渡される。
それを聞いた自分は、「もうムリ」と感じ、とたんに力が入らなくなる。
もっと言うと、ひょっとしたらトレーニングが始まる前から、「嫌だな」と思っていて、
100%にしようとするが、力が入っていないのかもしれない。
このネガティブな感覚こそが、本当の苦しさを生んでいるような気がする。

厳しさに飛び込んでいくことこそが、苦しさを忘れさせてくれるし、
その苦しさと正面から向き合うことで、心や身体が鍛えられていくのだろう。
逃げる、恐れるは、楽を生むように感じるが、決して楽にはならないと思う。
まさに、「自分を楽にする」という今年の軸にもつながった。

「苦しくても頭を下げるんじゃねぇぞ。頭を上げて空をにらめ。」と尊敬する先輩の声が聞こえてきた。

なんだか元気になってきた。
でもやっぱり、日々のダイエットが大事そうやね。

さあ、ビールでも飲むか・・・。
自分を甘やかしてあげることも大事だもんね。

今日もありがとうございました。

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