今日は初ネタの披露の日である。
ある企業でアサーションについて研修を実施したのである。
昨日までスタッフが懸命に入力してくれたものだ。
しかしながら、準備にあまり余裕がなく、
見出しと本文の文字のバランスや、
パワーポイントで資料作成していることから、
ページの切れ目がおかしかったりということがあった。
結局それを修正して、研修会場に乗り込んだ。
実施ができるのはスタッフのおかげである。
道すがら、研修のストーリーをイメージした。
最初にアイスブレイクをやって・・・、
これは野崎に任せて・・・、
それから、「権利とは」という問いかけから、
アサーティブへの注意と興味を促し、用語の説明をしよう。
こんな塩梅である。
今日の企業は本当に長くお付き合いしているため、
本当にコミュニケーションへの感度は高い。
いろいろな場面で、自分自身の感情への気付きは大きい。
ワークとワークに対するシェアをしながら、
本当に講師である私の気づきの方が大きいと感じた。
「支えられている。」という言葉が出てきた。
アサーティブという本当に難しいテーマの中で、
「自分や相手を尊重できているか」ということや、
そして、ネガティブな感情とも向き合う。
そんな難しい、慣れない人にとっては怖かったり、
苦しかったりする内容である。
にもかかわらず、真剣に取り組んでくれた受講生に、
ただただ感謝するしかないのである。
その一方で、伝えたい人には伝わらないのが本当のところであり、
ややもすると、自分自身がアサーティブでなくなることがある。
伝えたいという相手を想う気持ちを持ち、そして、
何を恐れ、嫌っているのかをしっかりと感じることこそ、
自分自身がアサーティブに生きるヒントではないかと思った。
今日も自分を承認する。
支えられている自分を感じ、感謝することができたね。
と言ってみた。
もっともっと、アサーティブを追及してみたら。
と返ってきた。
すくっと立ち、周りに恵みを届け続けている自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。