今日は、臨時の早朝ミーティングということで、
岡山では有名な女性経営者と一緒に、ある企業に訪問した。
早朝ミーティングだったため、「こんなに早朝から仕事をするのは初めて~!!」とか、
会社の従業員に、「社長、AMと書いてあるけど、PMの間違いじゃない!?」とか
言われたと、冗談を言いつつのスタートとなった。
打合せの方は、本当にクリエイティブ、かつ、論理的で、提案もさすがだと思った。
まさに企画力だなと・・・。
それに比べて私は、これが面白いとか、こんなことできないかなとか、
本当にアイデアレベルの話に終始してしまい、ちょっと反省。
でも、具体化や現実化できないわけでもないし、不真面目なわけでもない。
そう考えていると、こうやっていつも自分が都合の良いポジションを取ろうとしている。
こんなときは、人の気持ちのことまでは考えていないような気がする。
自分で言うのもなんだが、「打算的!?」な感じがした。
次の経営革新に関する打合せでも、商工会議所での打合せでも、
さらにその次の経営革新についての営業の段階でも、
自分の売上を上げるためには・・・ということばかり考えている。
そして今日は、師匠と前から楽しみにしていた可愛い師匠との打合せであった。
その中でも、その場から得られる“自分が欲しいもの”をしっかりと思い、
そして、それをそのまま口に出すのではなく、相手の気持ちの奥を感じたり、
何が起こっているのかを気にしながら、言葉を選んで口に出しているように感じた。
先ほども書いたが、「打算的!?」である。
打算的であるということは、自分が欲しいものを虎視眈々と見つめ、
そして、場合によっては、本当に自分がそう思っていないことを口にしたり事もあるし、
相手に深く印象付けるために、表現自体も工夫したりすることもある。
なんか自分としては、汚れている気がする。
そして、あまりにこのことを繰り返すと、汚れた心になっていっているようにも感じる。
「自分が欲しいものは何か。」
冷静になって書いていると、ちょっと恥ずかしくなってきた。
内容は単に心で思ったことなのだがり、それを直接言ってはいけないと考えていること自体、
自分の心のフィルターが汚れているのかもしれないと感じる。
自分の心のフィルターが汚れていると、
相手が言うこともなかなかまっすぐに受け取ることが出来なくなる。
曲がって捉えたり、ねじりまくってしまったりして、インプットもアウトプットもおかしくなる。
コミュニケーションがいびつになって、それ自体がしあわせなもので無くなるのである。
だから、本当は自分が欲しいことや望んでいることをそのまま伝えたいし、
表現すらもあまり工夫したくない。
直球勝負が本当は好きなのである。
そんな純粋な心でいつも人と向かい合い、伝え、受け入れ、しあわせなこの瞬間を創りたい。
そのためには、未だ超えられていない自分自身の壁と対峙する必要を感じた。
私のリソースを探してみると、自分の中に、自分の理想的な姿があった。
普段の生活のなかでも、愛しいクライアントと向かい合うときのような、まっすぐ信じる心で、
そして、CTIのコースリーダーのような澄み切った純粋な心で生きていきたい。
今日も自分を承認してみる。
「相手がしあわせになれるよう、不安や不満が起こらないよう気配りしていたね。」
と言って見た。
「そのこと自体が、自分の本当の想いであれば、別にいいんじゃないか。」と返って来た。
“生きるしあわせを創るんだ”という、純粋で、まっすぐな気持ちを持って言いたいです。
今日もありがとうございました。
楽しく生きていきたいですね。