アーカイブ: 2008年8月

第239号:再会。

今日は早朝のミーティングがなくなったので、朝はゆっくりと目覚めた。
そして、仕事の片づけをしたり、ブログを書いたりしながら、ごそごそしていた。

ふと、インキュベーション施設の話が決定し、冷静になって考えると、
入居のタイミングとそれに合わせて、備品などの準備やお金のことも気になり始めた。
でも、ある意味希望に燃えているし、これからのことを考えるとわくわくする。

こんなタイミングで多くの出会いや、再会がある。
先日、忘れ得ぬ人ということで、ドラマチックな再会を果たしたいという話をしたが、
今日はとくにその再会の意味を考えることとなった。

そうこうしていると、行政書士の友人から連絡が入り、約2時間も話し込むことになった。
彼との関係を思い起こすと、中学校のテニス部時代に、私が部長、彼が副部長であり、
そして、どの大会だったか忘れたが一度だけペアを組んで試合に出たことがある。

当時から面白くて、頭が非常に良くて、女の子の先輩にもめちゃくちゃ持てて、
どちらかというと天才型の人間だった。
私は、頭はまあまあ良かったけど、秀才型だったし、女の子にもてないし、
ユーモアという面では圧倒的に劣っていて、正直うらやましくて仕方が無かった。
そんな彼とは、2年半くらい前に、飲食店の友人の紹介で再会したのだった。

「彼との再会は自分にとってどんな意味があるのか。」

正直、受け入れにくい価値観や性格を持った人間だったので、
自分の意識の幅を広げたり、懐を広く深く広げることの重要性を知るということ。
それから、頭の切れが異常に良いやつなので、いつも私は引け目を感じるのだが、
勝ち負けや優劣ではなくて、違いを認め合うということの重要性を知るということ。
あとは、行政書士という役割、それから、彼の生きてきた人生を共に味わったり、
私が彼に対して期待していることを伝えたり、彼が望んでいることを支援したり、
その逆もあったりと、同じ独立した者として切磋琢磨できるような関係としたい。

昼からは約6ヶ月ぶりの再会となったのだが、JITのコンサルタントである。
ある資格の専門学校で勉強&講師をしていた時に出会い、
以前はちょくちょくお会いして勉強させていただいたり、
うちで奥様とも一緒にバーベキューをしたり、
一緒に現場改善をしたりしていたのだが、現在はドイツでコンサル活動を実施している。
だから、めっきりご一緒する機会が減っているのである。
以前、一緒に一杯やっていた時に、その方にこんな風に言われたのを思い出した。

「西田さんは、ただのコンサルタントになったらダメだ。」
「もっと大きくて、幅広くならないとダメだ。」
「そして、一緒に生きていこう。」

当時の私は、経営コンサルタントとしては駆け出しで、
コンサルタントとして生きていけるかどうかというレベルだったので、
正直そんなこと言われたって出来るかどうかわからないし、
そんなことより、弟子にでもしてくれて、
持っているものを全部教えてくれたらいいのにって思っていた。

「彼との再会は自分にとってどんな意味があるのか。」

今、自分がしようとしているHCD(人間中心設計アプローチ)や、
厳しいと可愛いの師匠と進めている教育プログラム、
そして、インキュベーション施設に入りベンチャー企業としての歩みを始めること、
その全てが成長と進化の証であるということが感じられる。
それを気づかせてくれて、さらに、もう一歩進みたいと思える力になったような感じである。
また、歳は違えど旧友という感じであり、近況報告しあえるのがうれしい。
そして、師匠として、期待すること、信じること、自信を提供すること・・・。
その大切さを身をもって感じてさせていただいたように思う。

そして、春からプロジェクトに一緒に取り組んでいて、ちょっと休憩中のクライアントである。
その紹介で、岡山では中堅の食品会社のご子息も一緒に食事をする事となった。
この方は、私が創業したときに父同士の付き合いの関係で出合って、
はや、7年のお付き合いである。

「彼との再会は自分にとってどんな意味があるのか。」

この7年間一緒に生きてきた結果、ちょっと間が開くとお互いの成長が感じられる。
なんか、都会に出て行った兄弟と、帰省の時に会うような気分である。
そして、今どちらかに一緒にいる必要が発生しているということだと思う。
こんなつながりをずっと感じながら生きていけるとうれしい。

そして、今日はじめてあった食品会社の貴公子は、本当に冷静で、かつ、
かっこよくて、ユーモアに溢れ魅力的な方だった。
もっともっと、知りたいし、一緒に生きていきたいと思った。
(また、遊びに行くので宜しくお願いします。)

今日は、そんなメンバーでの飲み会だったのである。
独身者が多かったので、愛しいクライアントと資格専門学校の笑顔のかわいい人に声を掛け、
一緒に飲むことにした。

愛しいクライアントとは、いつも電話とメールだけなので、表情を見ながら、呼吸を感じながら、
たまに、肩を叩いたりしながら食事ができ、今何が起こっているのかをもっと感じることが出来た。
うれしかった。
コーチングは対面セッションに限るし、そのほうがよろこびが大きいと思った。

笑顔のかわいい人も、普段はあまり話すことのないような会話が出来て、
かなり理解が進んだように思う。
これもまた楽しい。
知っている人が増えて、楽しい輪が広がることはうれしいことだと思った。

いろいろな人との出会いや、再会で今自分が生きている意味を感じる事ができた。

今日も承認してみる。
「目の前にいる人を、しっかりと味わい、100%の自分で関わっていたね。」と言ってみた。
「ちょっと味わうというより、バタバタ独りよがりな感じがしたけどね・・・。」と返って来た。
「でも、とっても楽しかったし、熱い自分でいれたし、みんなも笑顔だったから・・・許してやろう。」

みんながまた笑顔で再会できることを、熱く思いながら言いたいです。
今日もありがとうございました。
また会いたいですね。

第238号:汚れた心。

今日は、臨時の早朝ミーティングということで、
岡山では有名な女性経営者と一緒に、ある企業に訪問した。

早朝ミーティングだったため、「こんなに早朝から仕事をするのは初めて~!!」とか、
会社の従業員に、「社長、AMと書いてあるけど、PMの間違いじゃない!?」とか
言われたと、冗談を言いつつのスタートとなった。

打合せの方は、本当にクリエイティブ、かつ、論理的で、提案もさすがだと思った。
まさに企画力だなと・・・。
それに比べて私は、これが面白いとか、こんなことできないかなとか、
本当にアイデアレベルの話に終始してしまい、ちょっと反省。
でも、具体化や現実化できないわけでもないし、不真面目なわけでもない。

そう考えていると、こうやっていつも自分が都合の良いポジションを取ろうとしている。
こんなときは、人の気持ちのことまでは考えていないような気がする。
自分で言うのもなんだが、「打算的!?」な感じがした。

次の経営革新に関する打合せでも、商工会議所での打合せでも、
さらにその次の経営革新についての営業の段階でも、
自分の売上を上げるためには・・・ということばかり考えている。

そして今日は、師匠と前から楽しみにしていた可愛い師匠との打合せであった。
その中でも、その場から得られる“自分が欲しいもの”をしっかりと思い、
そして、それをそのまま口に出すのではなく、相手の気持ちの奥を感じたり、
何が起こっているのかを気にしながら、言葉を選んで口に出しているように感じた。
先ほども書いたが、「打算的!?」である。

打算的であるということは、自分が欲しいものを虎視眈々と見つめ、
そして、場合によっては、本当に自分がそう思っていないことを口にしたり事もあるし、
相手に深く印象付けるために、表現自体も工夫したりすることもある。

なんか自分としては、汚れている気がする。
そして、あまりにこのことを繰り返すと、汚れた心になっていっているようにも感じる。

「自分が欲しいものは何か。」

  1. 一緒に仕事をすること
  2. 仕事をすることでの会社としての売上
  3. その人からの注目や関心
  4. 一緒に過ごす楽しい時間
  5. 自分が嫌われたり、拒絶されたりしないということ
  6. そして・・・自分だけに対して向けられる好意

冷静になって書いていると、ちょっと恥ずかしくなってきた。
内容は単に心で思ったことなのだがり、それを直接言ってはいけないと考えていること自体、
自分の心のフィルターが汚れているのかもしれないと感じる。

自分の心のフィルターが汚れていると、
相手が言うこともなかなかまっすぐに受け取ることが出来なくなる。
曲がって捉えたり、ねじりまくってしまったりして、インプットもアウトプットもおかしくなる。
コミュニケーションがいびつになって、それ自体がしあわせなもので無くなるのである。

だから、本当は自分が欲しいことや望んでいることをそのまま伝えたいし、
表現すらもあまり工夫したくない。
直球勝負が本当は好きなのである。

そんな純粋な心でいつも人と向かい合い、伝え、受け入れ、しあわせなこの瞬間を創りたい。
そのためには、未だ超えられていない自分自身の壁と対峙する必要を感じた。

私のリソースを探してみると、自分の中に、自分の理想的な姿があった。
普段の生活のなかでも、愛しいクライアントと向かい合うときのような、まっすぐ信じる心で、
そして、CTIのコースリーダーのような澄み切った純粋な心で生きていきたい。

今日も自分を承認してみる。
「相手がしあわせになれるよう、不安や不満が起こらないよう気配りしていたね。」
と言って見た。
「そのこと自体が、自分の本当の想いであれば、別にいいんじゃないか。」と返って来た。

“生きるしあわせを創るんだ”という、純粋で、まっすぐな気持ちを持って言いたいです。
今日もありがとうございました。
楽しく生きていきたいですね。

第237号:忘れ得ぬ人。

昨日は早朝ミーティングということもあって、あまりの疲れで早くダウンした。
やり残した仕事があるため枕元にPCを置いているのが悪いのか、
早く寝ては、夜中に起きてメールチェックしたり、
ブログを書いたりするのが習慣になってしまった。

疲れているくせに、むくっと起きてはパソコンに向かう。
そんな時、自分のブログの中に感じたことや思うこと、そして、考えたことを書く。
そうすると、ストレスやニーズの塊のようなものや、感情まみれでぐちゃぐちゃの状態から、
浄化されて、冷静な自分が顔をのぞけるようになる。
そうすると、落ち着いてまた眠りにつけるのである。

また、メールの中にも私のことを本当に気遣ってくれたり、承認してくれるメッセージがある。
自分の命が膨らみ、やさしい気持ちになって、みんなに愛を届けたくなるような気分になる。
本当にうれしくて、うれしくて・・・まさに、忘れ得ぬ人になる。

もちろん、私のことを思い、熱く叱ってくれる人にも愛を感じるのである。
それに対して、やたらと要求ばかりで、自分のニーズを満たすことに終始し、
挙句の果てにあなた(の生き方)が悪いって言う人もいる。
迷惑というより、それこそ我田引水であり、忘れたい人になる。

といっても、私はコーチであり、その人がなぜそんなことを言うのかを感じ、受け入れ、
自らの懐を広げることで、エネルギーに変えていくのである。

「この忘れえぬ人・・・どんな人がいるか。」

・小学校の確か4年生のときだったかの女の担任の先生(名前が出てこない)
・中学校1年生のときの3年の男の先輩
・中学校1年生のときのテニス部の顧問の先生
・現在、大手企業で努めている高校時代のテニス部の同僚
・高校2年生のときのお付き合いしていた女の子
・大学のときの迫力ある先輩
・大学のときお付き合いしていた女の子と、テニス部の同僚の女の子
・オハヨー乳業時代の上司
・オハヨー乳業時代の問屋さんの担当者の方
・この頃お付き合いしていた後輩の女の子
・ビスコム、ムサシノ広告社時代のクライアントの担当者の方、複数名
・ムサシノ広告社時代の上司、媒体の担当者(亡くなってしまった)、
 そして私を採用してくださった方
・コンサル業界に導いてくれた師匠
・研修業界に導いてくれた師匠
・自分の手を引っ張ってくれた取引先の担当者の方
・一緒に仲間として扱ってくれた方
・私のことを信頼し、誉めてくれた金融機関の支店長(今でも涙が出る)
・今まさに私を信頼して、継続的なコンサルティングを受けてくださっているクライアント
・まさに、一緒に走ろうとしている師匠を始めとする人々
・愛しいクライアント

たぶんもっともっと多くの忘れ得ぬ人がいると思う。

「忘れ得ぬ人って、どんな人なのか。」

  1. 自分と一緒にいるという関係を望んでくれる人
  2. ある意味、自分とまっすぐに向き合ってくれる人
  3. 成長させてあげたいという人
  4. 自分が何とかしてあげたいと思った人
  5. 期待してくれて、自分も期待にこたえたいと思った人

「このように列挙しながら、何を感じているのか。」

今は会うことが出来なくて遠くに感じていても、心からしあわせに過ごして欲しいと思う。
全ての人に適切かどうか解らないが、今、会うことが出来なかったとしても、
これから2度と会わなかったとしても、その人の事を忘れることは無く、
記憶にとどまり、つながりを感じることが出来る。
そして、私は遠くから愛を贈りたい・・・。

しあわせを祈り、感謝の気持ちを込めて・・・。
贈る言葉や5番街のマリーの曲が、頭の中を流れた。
もし可能であれば、このブログを届けたいし、ドラマティックな再会を果たしてみたい。

今日も承認してみる。
「今までお付き合いのあった人々に、本当に感謝の気持ちでいっぱいだね。」
といってみた。
「今までの不徳を少しでも埋めてみたら・・・、
そして、もっとこのような関係を作ってみたら・・・。」と返って来た。
このような関係を築いていくことこそが、私のしあわせでもあると思った。

地球の裏側まで届くくらいの熱い想いと愛を込めて言いたいです。
今日もありがとうございました。
いつかどこかでまたお会いしたいですね。

第236号:愛を聴く。

今日は例によって早朝ミーティングである。
昨日は「葉っぱビジネスはなぜ岡山でできないのか。」というセミナーをやって、
師匠と反省会でビストログランパで食事をして帰ったため、睡眠時間が少なくなった。

めっちゃねむい。

昨日の味を思い出した。
それにしても、ビストログランパは本当に盛況である。
私はカレーを食べたのだが、甘み、コクそしてゴハンの炊き具合が最高だった。
師匠はトマトソースのトロトロオムライスを食べていたが、これがまた最高!!
トマトがおいしいさらっとしたソースと卵、チキンライスが絶妙にからんで・・・。
本当においしかったようである。
その努力の結果か、お客さまの数も非常に多かった。

というわけで、今日は朝からコンサル案件2件と営業2件をこなした。
昼間の時間であったが、愛しいクライアントと軽いセッションをした。

今日は昨日感じていたどん底感から抜け出せたような気がした。

「どうやって抜け出すことが出来たのか。」

といわれても、自分の力で抜け出したり、這い出したりした覚えがない。
せいぜいあったとしても、昨日のブログを書いて、心と頭を整理したり、
心理的なポジションを低くしたことぐらいだろうか。

ひょっとしたら、この心理的なポジションを低くしたのが良かったのかもしれないし、
それから、私が選んだコーチとしての生き方、
そして、相手の気持ちに焦点を当てて話を聴くことを意識したからだろうか。

この中に確かに抜け出すヒントが隠されているように感じるが、
それだけではない何かの力が働いているような感じがして仕方がない。

昨日まで、自分から何かが奪われたり、自分が相手から奪おうとしていたのから、
今日は、自分が何かを頂いたり、自分が相手にあげるという方向にシフトした。
受け入れて、あげる。
まさに愛である。

昨日まで何を見てもネガティブに捉えていたものが、
自分に愛を提供しているものとして感じられるようになった。
何をいっても、何も話をしなくても、愛があるからこそと捉えられる状態である。
まさに、「愛を聴いている」状態である。

今日も承認してみる。
「相手の愛を感じ、好意を感じられていたね。」といってみた。
「そう、それが本当にありがとうの気持ちにつながるね。」と返って来た。

全身で愛を感じ、愛を提供できる自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。
また、会いたいね。

第235号:どん底。

最近、飲み会が続いたりして、なんとなく自分をコントロールできていない感じが強い。
そんな中、今日はどん底のような気分で今生きている。
このブログもセルフコーチング的な側面が強いので、今の胸のうちを明かしてみたい。

今まで順風満帆に風も流れも一身に受けて、一緒に歩んでくれる人と進んできた。
だからこそ、自分の周りにいる人に少しでも良いものを渡したいという心で生きて来れた。
ここにきて、ちょっと恥ずかしいが、私の中に下記のようなことが起こっている。
(ちょっと、大げさに書いて見た!)

  1. 心無い言葉に翻弄され、心を盗まれ、自信を失っている。
  2. 自分の我を張り、騒ぎ立てる人にいらいらしている。
  3. 自分自身に対する承認のメッセージや優しさが欲しくて、飢えている。
  4. 自分が思ったように出来ていない事のフィードバックが刺さっている。
  5. 今までお付き合いのあった人が離れていっているように感じる。
  6. 自分は能力がなくてもう何も出来ないと思っている。

こんな風に書き出してみると、自分で言うのもなんだが、かなり重症の様相である。
大きな人生の流れがあって、すごいスピードに乗って流れていたところで、
いきなり行き止まりになって、前に進まなくなったような感じである。

もっと、ぴったりの表現は・・・。
どちらにしても、今まで懸命に上り詰めて言ったが、急流に滑り落ちているようである。
大きな人生という流れの中でみても、このまま下降線になるのではないかと心配になる。

そういう風に考えていると、タイトルにはどん底と書いたが、
実際のところは、落っこちそうになったところで、落っこちないように何かにしがみついて、
しがみついているからこそ、痛みや苦しみや悲しみや恐れを感じているように思う。

そして、その先は人の評価を気にしたり、自分の責任で捉えられなくなったりする。
そして、自分は欲求不満になり、エネルギーが枯渇して、動けなくなる。
本当は、どん底まで落ちて、もう落ちることが出来ないくらいになればいいんだろう。

しっかりとその不安のど真ん中には、未だ立てていないように感じるが、
なんとなく、自分の立っているところと大きな流れをつかむことが出来たように思う。
自分の立つ場所を変化させることで、自分の心にわきあがる感情がこんなに違うのかと、
ハッとする思いである。

占い好きの私は、こんなふたご座の占いを見つけてしまった。
トラウマに気づきそうな日。
子供のころに親との間で感じた悲しみがふとよみがえってきそう。
頑張っているのに親にほめてもらえなかったりした記憶がよみがえってきて、
少し苦しい気持ちになることもありそうです。
まずはあなたが頑張ってきた自分のことを一番に認めてあげましょう。
こんな日にはひとりで好きなレストランにでも行き、おいしいものを楽しむのが効果的。
時にはこんなふうに自分を甘やかすことも必要でしょう。

誰にも、OKを出してもらえない自分。
自分自身を甘やかせてあげないと逃げ場のない自分。
本当は誰かに甘やかされたり、しっかりと抱きしめてもらったり、
そして、出来ていないことがあるのであれば、アドバイスをしてもらいたいのだろう。

経営者であり、周囲の人に少しでも生きるよろこびを提供できるよう頑張りたいし、
それが大きな人生の流れの中で感じられる自分でありたい。
そして、一生懸命にやっている所をしっかりと認めて、自分をかわいがりたいと思った。

今日も承認してみる。
「自分の都合でなく、相手がしあわせになるために必要なことを伝えられていたね。」
といってみた。
「そうだね。もっともっと真っ直ぐに、自分の純粋さを伸ばして欲しいよ。」と返って来た。

人のしあわせを心から願い、受け入れることを、エネルギーにしてお伝えしたいです。
今日もありがとうございました。

第234号:人生の流れ。

今日は朝から商工会議所の日である。
最近、土日にびっちりと仕事をしたり、お出かけや研修で疲れたりすることが多い。
今回はどちらかというと、昨日の一日の疲れで、朝起きるのがつらかった。

なんとなく、商工会議所で働く意味を明確にして取り組んできたが、
時間が経つと同時にその新鮮な心は、少しずつ雲がかかっているような気がする。
慣れることで仕事のポイントや力の入れ方がわかることは大切なことだが・・・。

それに、ちょっと今日は対人面において風向きの悪さのようなものを感じた。
夜の空手でも、なんとなく変な感覚があった。
動物的感覚である。

そういう面で、今日は外に比較的積極的に出て行って、
経営支援センターの案内を多めににしようと決心した。

結局、創業の支援をしたカフェで昼ごはんを食べて、
その時にはやり手の社長と一緒に食事して、それから、お茶をした。
さらに、厨房機器のリサイクルショップへ創業者への支援について説明をし、
その後、老舗の大手企業、小売店へと訪問した。

そのなかで、特に感じたのは、人生には流れがある。
ある経営者の方ともそういった話になった。
こんな時こそ、人生の流れを感じながら、強進することなく流れに身を任せるのが良い。
あるがままの自分で、変なよろいを着たり、化粧をしたりすると良くない。

「流れに逆らうと、どのように目に映るのだろうか。」

  1. あがき、もがいている感じ
  2. 我を張って、自分勝手な感じ
  3. 往生際が悪い感じ
  4. じたばたしている感じ
  5. 余裕が無くて、貧困な感じ

いろいろな言葉で表現してみたが、もし周りにこのような人がいたらどう感じるだろうか。
何かに取り付かれていて、シンプルに話しかけにくいし、悪い状態に巻き込まれそうに思う。
それに、まず仲良くなりたくないような気がする。

ちょっと関係を持つと、なんか引きずり込まれたあげく、傷つけられたり、非難されたり、
面白くないことを一手に引き受けさせられてしまいそうな感じがする。
やはり、自分もフリーにしておき、もちろん、関係する人もフリーであり、もたれかかっていない。
その結果として、一人一人を尊敬し、祝福できる関係が構築できると思う。

人生の流れをしっかりとつかみ、その流れに身を任せる。
流れがゆったりとしたときは、水面に浮かべ流れを楽しむがごとく泳ぎ、
流れが激しくなったときには、その荒波の中で自分を失うことなくしっかりと耐え、
そして、流れが静かに止まったときには、自分の力でステージのごとく力いっぱい泳ぐ。

そのステージにたどり着くために、私たちはいつも鍛え、模索しているのではないか。
今日も流れを感じ、それを味わい、自分自身を生きるよろこびに向かわせるのである。
いつでもどこでもしっかりと味わい楽しんでいると、最高の瞬間にたどり着ける。

今日も自分を承認してみる。
「経営者の想いをしっかりと聴き切り、全身で受け止められていたよ。」といってみた。
「しっかり聴き切るだけでなく、松岡修三のように熱く想いを伝えられていたね。」
と返って来た。

静かに燃える闘志を胸に、生きるよろこびを感じながら言いたいです。
今日もありがとうございました。
また来て下さいね。

第233号:ドライブ。

今日は日曜日、朝から耕を連れてテニスに行きたかったが、
自分も耕もグズグズして、しかも、ガットを張ったラケットが1本もないのを思い出して、
結局、行かないという選択をした。

この時期は、本当にぶどうがおいしいシーズンであり、
妻とも話をして、井原市にある青野というぶどうの産地に家族で行くことにした。

妻と一緒に話しをしながらドライブするのは本当に久しぶりで、
しかも、先日の大喧嘩もあったのだが、いろいろな話をしながらの小旅行となった。

青野のぶどう農園で瀬戸ジャイアンツ、藤稔、ゴルビーなどを買った。
藤稔というのは、ピオーネを更に品種改良したもので、大粒で味が濃いものである。
ゴルビーは安芸クイーンに非常に近いものである。
そして、桃太郎とも呼ばれる瀬戸ジャイアンツは、大粒で桃のような形をしている。
種がなく、皮が薄く、皮ごと食べられる高級ぶどうである。

今回は自家消費用ということで、粒が小さかったり、バラバラになっているのを買った。
妻は東京の家族に贈っていたようだった。

よく考えてみると、妻は東京から1人で知らないこの土地に来て力強く生きている。
来たばかりのときは、本当に私しか知らないのである。
今では私とは比にならないくらい多くの友達や信頼関係を持っている。
すばらしいことだ。

ある意味、人と付き合うという面では師匠かもしれない。
どこへ行っても、いつも自分らしく振る舞い、相手のことも優しく受け入れる。
嫌なことがあっても顔に出さず、さらっと受け流して、気にしない。
私もそうありたいと思った。

さらに、葡萄浪漫館へ行った。
ここに行くと、本当に多くのぶどう、そして、ぶどうの品種がある。
新しい品種の試食が楽しみであったが、あまり、違いがわからなかった。
説明があればいいのにって思った。

ここでもメインイベントはソフトクリームだ。
日世のソフトクリームのようだが、生乳のミルク感と練乳のような香りがおいしい。
ミニストップのソフトクリームが非常においしいが、
ここのソフトクリームは群を抜いておいしい。
是非みんなにご馳走してみたい。

そして、耕が楽しみにしていたみやまくわがた採りである。
結局、捕まえることが出来なかったのだが、副産物が2つほどあった。

一つは、美星町の青空市に着いたことだ。
地元の野菜、そして、それを使ったコロッケ、てんぷらが並んでいて、
特にコロッケは6種類くらいあり、名物になっているようだ。

耕と龍が歩いていると、揚げたてのドーナッツをおばちゃんがくれたようだ。
一口頂いたのだが、あったかくて、甘くておいしかった。
「じゃあコロッケでも・・・。」とおばちゃんに声を掛けると、
おばちゃん、「いや、買わなくていいよ!」だって!
本当に楽しんで欲しいという気持ちが伝わってきた。
山菜おこわとあんころ餅のようなのを買って食べた。
おいしかった。

さらに、矢掛のほうに下っていく途中で、ミヤマクワガタを探していると、
渓流のほとりに偶然出ることが出来た。
黒い羽とエメラルドグリーンのボディのトンボが飛んでいて、
みんなが楽しそうに追っかけていた。

結局ミヤマクワガタとは今年は会えなかったが、自然とおいしいもの、
そして、人とのぬくもりの感じられた小旅行で本当に心休まるひと時だった。

家に帰って、バーベキューで締めくくった。
父も参戦してだったが、先日の大喧嘩の後遺症がまだあり、なかなか・・・。
父と子というのは、こんなものなのかもしれないと思った。

夜は愛しいクライアントとのセッションだった。
一生懸命にやってきたことを完了させ、次のステップに進もうとしている姿に感動した。
ずっと、支援していきたいと思った。
私のほうが温かい気持ちになれて、勇気をもらえたような気がする。
愛しくて仕方がない。

今日は、愛がいっぱいだった一日だった。

今日も承認してみる。
「目の前の人と向き合い、しっかりと感じ、一緒に楽しむことが出来ていたね。」
といってみた。
「1人の父として、夫として、男として、経営者として、そして、コーチとして生きているね。」
と返って来た。

どの役割であっても、愛を持って100%で生きて行きたいです。
今日もありがとうございました。

第232号:師匠を学ぶ。

今日は朝4時に起きて、製造業のリーダーシップの研修の準備をした。
といっても3時間×4回の12時間の研修であり、今回はまずコミュニケーションである。

もう付き合いの長い会社なので、会社の内部のことが本当に良くわかっていて、
コミニュケーション系の研修はちょっと気恥ずかしさや、難しさのようなことが解っている。
だから、ちょっとオープンな研修をするときと違う緊張感があった。

予想通り、馴れ合い感覚があり、数人の方の受講姿勢に問題があるように思ったが、
基本的には全員が参加してくれて、まじめにコミュニケーションについて考えてくれた。
受講後の責任者からの評価も◎を頂き、また自信を持って他の企業にも売り込みたい。

昼は、師匠である社長と食事に行った。
(ご馳走になりありがとうございました。)
息子さんのお話で、師匠の人生を変えるようなビジョンが見えてきたということだった。
一生懸命に、前向きに生きること、そして、夢を持って生きるということ、
一緒に学び、そして、その愛しい人のためにできることを自らも行う。
そして、心が震えるような感動を共にする。
素晴らしいことだと思った。

他の人がきっかけになってビジョンを描くことになったことが、ちょっとジェラシーだったが、
ここは良い気付きがあり、ありたい姿に迎えるようになったことを心からお祝いしたい。
おめでとうございます。

昼過ぎに家に帰り、20分くらい寝てから、HCDや研修企画について打合せをした。
師匠は代わりに東京に行って、千葉工業大学の山崎教授のセミナーに参加してくれたのだ。
人間中心設計という組織の主催するセミナーであり、ペルソナ手法のみならず、
ペルソナの活用法、および、プロジェクトマネジメントをつぼを押さえながら説明してくれた。

師匠がセミナーに出てくれたおかげで、また一歩大きく前進できたような気がした。
このHCDは、本当にエヌティ・クリエイトの軸なる考え方であり、
師匠と連携していく上で、共通の価値観を生み出すツールのように感じた。

さらに、師匠は山崎教授との会話の中で、人材育成に使用したケースは少ない。
という意見を頂き、是非その実践の結果を共有して欲しいという要望をもらった。
そして、必ず上手く行くというお墨付きまで・・・。
勇気100倍である。

そして、夜は人生の師匠と飲み会であった。
印象に残った言葉は、「人生は楽しいものだ。」という言葉だった。
結局、2次会+又一のラーメンだったのだが、
本当にどこへ行っても楽しみきっているような感じがした。

人生の流れに逆らうことなく、でも、その一瞬一瞬を楽しみきっている師匠。
逆に私は、自分のハートに絡んだものが気になって、100%の自分でいられないことが多い。
そして、師匠は私にこういった。

「相手のためになることは、自分の真理をずぱっと言えばいい。」

中途半端な生き方、中途半端な仕事のスタンス、中途半端なコミュニケーションを諭し、
私の人生の勝者に導くが如しである。

そして、自分が死ぬ前には、肉や魚や油っこいものではなく、
岡山の最高級の白桃を食べて死にたい。

相変わらず、面白いことを言うなと思ったのだが、
その言葉の裏にあるものを勝手に解釈してみた。

「人生をみずみずしく、透明感のある甘さで、薫り高く、美しく、とても濃い味のものにしたい。」

いろいろ書きすぎて訳がわからない文章であるが、
師匠が普段、人の中で、苦味やすっぱさやいろいろな味わいを常に感じながら生きて、
そのなかでも、特に白桃のような味わいに安らかさを感じているんだろうと思った。
それでも、全てを受け入れ、「人生は楽しい」っていえる師匠が素晴らしい。

今日はたくさんの師匠と会話が出来て、素晴らしい教訓を得た一日であった。
最近、マインドが停滞していた自分に、考えるきっかけや勇気を用意してくれたように感じた。

今日も自分を承認してみる。
「本当に多くの師匠の人生を感じ、その言葉に真剣に耳を傾けていたね。」といってみた。
「そのこと自体が、自分の学びになり、人生の厚みを増しているようだったよ。」と返って来た。

師匠に負けないくらい人生を味わいたいという宣言として言いたいです。
「今日もありがとうございました。」
一緒に生きて行きたいですね。

第231号:絶対できる。

昨日までの3日間、なんとなくネガティブな内容のブログになってしまった。
今朝そんなことを感じながら車を走らせていると、
久々に自分の想いのようなものがグッとこみ上げてきた。
その声は、次のように言っていた。

「あきらめるなよ。絶対に出来る。」

そこで愛しいクライアントの顔が次から次へと浮かんだ。
みんな、笑ったり、おどけて見せたりしているけど、
寂しかったり、不安だったり、怖かったりといろいろなことを感じながら生きている。

そういう私も、全く同じである。
絶好調で、偉そうにどんどんにしゃべりたいときもあれば、
青菜に塩という感じで、打ちひしがれて誰かに励ましてもらいたかったり、
ただただ、じっとそばにいて話を聞いて欲しかったりするときもある。

このメッセージは、コーチとしてクライアントに対して熱く語りかける言葉だったのだが、
今日の感覚としては、自分自身に対して、大丈夫だと言い聞かせている感じがする。

右手で左の首元をつかんで、ひじを胸の付近に押し当てて、
「大丈夫。きっと出来る。」とつぶやいてみると、胸の奥がジーンと震える。
この胸の奥のジーンという震えの中に、同じ言葉がこだましている。
そういえば、最近、あきらめかけているのは自分自身だと思った。

「何に対してあきらめを感じているのか。」

  1. コーチングのアクティブリスニングのレベルアップ
  2. コンサルティングサービスの標準化と教育
  3. 多くの人と仲良くなるために自分の心の壁を取り除くこと
  4. 情報力の強化

こんな風に見ていると、自分が今まで問題として取り上げてきたことばかりである。
現在、具体的に取り組んでいることは1.2.であり、仲間の協力もと進めている。

4.については相変わらず、十分な打つ手がなく、壁の前で立ち尽くしている感じである。
師匠と会話をすることで、新しい情報やそれの見方、考え方が身についている気がする。

さらに、3.については、その中でも自分にとって最も重要なことであるにもかかわらず、
意識的に取り組もうとしていない。
というか、かなり出来るようになっているが、ある一定のパターンで心が弱くなり、
自分らしさを失ってしまうということが起こっているだけのような気がする。

「何かが変わってきたような気がする。」

以前は、出来ない自分と戦い、できる自分への変革を遂げてきたが、
少しできるようになった自分が更に大きなものにチャレンジしようとしているのだと思った。
周りの人がみんな応援してくれているし、一緒に走るパートナーもいる。
みんなが熱いハートを持っている。
私はパートナーも自分も信じている。

「絶対に出来る。」

というか、「やってみせる。」

そんな中で、自分自身がどうあるべきなのか。
今一度、自分が取り組む、ビジネス、スキル、マインドを整理して、
再度、参るストーンとしてゴール設定をしてみたいと思った。

ご報告になるのだが、岡山大学インキュベーションセンターへの入居がほぼ内定した。
予定通り計画が進んでいる。
気合を入れて、真剣に取り組みたい。
本当にありがとうございます。

鍛える師匠は、私の代わりに今日東京でHCDについての情報収集を行っている。
明日はその報告も聞ける予定なので、本当に楽しみである。

今日も自分を承認してみる。
「あきらめをなくし、生きるしあわせを創る方向に向かって確実に歩いているね。」
と言ってみた。
「間違いないよ。次の意図する結果を準備してみたら・・・。」

自らが、「絶対に出来る!」という、燃えるようなハートをもって言いたいです。
今日もありがとうございました。
エヌティ・クリエイトの新規事業に是非ご期待ください。

第230号:あり方。

今日は昨日早く寝たので、今日はわりと早く目が覚めた。
なのに、ちょっと布団からは出ることが出来ず、PCをつついたり本を読んだりした。
なにか心の中に引っかかるものがあったようである。

「私の朝は、本来どうなったらいいのだろうか。」

  1. 起きたときすがすがしく晴れ渡っている。
  2. 自分の想いを静かに感じて、ハートの奥が熱くなる。
  3. 自分の存在意義、あり方、そして、プレゼンスを感じている
  4. 自分自身を信じ、信頼し、大好きである
  5. 今日一日に期待感を感じる。

なんか、最近自分のことが好きではないらしい。
先日大阪から帰ってきて数日間のうちは、本当に自分のことが大好きで、
「一生こんな風に生きられたらしあわせだな。」って思っていたが、
ちょっと心にもやがかかっているような気がする。

「このもやは何で出来ているのか。」

  1. 仕事の進捗状況が遅いこと。
  2. ある人間関係。
  3. 自分の我が強く、相手を感じきれないことによる自己不信感

そういえば、今日ある方から、
「西田さんは結構、自分がどう見られるのか気にしてるよね。」といわれた。
そうかんがえていると、
自分のあるべき姿のレベルが高すぎて、現実とのギャップにがっかりしている。
ということが出てきた。

ありたい自分もいいし、そうなるためにしっかりと生きればいい。
でも、その前に、あるがままの自分ももっと感じてみたいと思った。

肩に力が入ってなくて、自分のニーズではなく、想いを胸の奥で感じている。
目の前に起こることを自然に受け入れ、味わい、表情は変えることなく聞ききっている。
私らしさでもある誠実で、澄み切ったハート、そして、瞳で見つめる。
そして、相手をまっすぐに信じ、しあわせに生きることを熱く感じる。

ここまで書くと、あるがままの自分よりちょっとレベルが高すぎるのかもしれないが、
この中でも、自分の想いをしっかりと抱きしめていることが何より大切だと思った。

今日は、中小企業基盤整備機構のかたとご縁が多くあった。
農商工連携の関係の方、そして、地域力連携拠点事業の担当者の方と、
専門化派遣事業の方の3名であった。

特に、農商工連携と地域資源の現在の申請状況や、そして、承認の難易度の推移は、
私にとって興味深いところであり、今後のセミナーでまたお伝えできるのが楽しみである。

あと、うれしい知らせが入ってきた。
また完全にオープンになったら、お知らせさせていただきたい。

夜は会計事務所の貴公子と打合せ。
といっても、四方山話と彼の税理士試験に合格して欲しいという話し、
それから、私の自慢話と愚痴を聞いてもらった。
本当にありがたかった。

この心のもやも、ひょっとしたら、最近コーチをつけていないところから来ているのかもしれない。
そうもう一度、検討してみたい。

また、寝る前に本当にうれしいメールが入っていた。
なんか、静かで穏やかな気分になった。

今日も自分を承認してみる。
「自分が立っているその場その場で、怠ることなく、ベストを尽くしていたね。」といって見た。
「流れに逆らうことなく、自分のあり方をもっと見つめてみたら。」と返って来た。

大きな人生というプロセスの中で、じたばたしないで、ありのままの自分で言いたいです。
今日もありがとうございました。