アーカイブ: 2008年4月16日

第102号:胸のときめき。

最近早朝からのミーティングが多い。
今週は特にそうであり、火、水、木、金と4日間である。
朝早くから仕事をすると本当に気持ちも良いし、
時間が多いだけかもしれないが、私にとってはえもいわれぬ充実感が得られる。

早朝はそれでも少々寒いのだが、昼になると暖かい。
今日は朝から本当に気持ちの良いことが続いた。

いつもニコニコの社長のところへ行きどちらがコーチかわからないくらい、
大事にしてらもらえるコミュニケーションをし、
それから、ある支援機関にいくといろいろな方が話しかけてくれて、
この上ない楽しいコミュニケーションがあり、
さらに、足守川の土手にある会社に行くと、春の菜の花の香りが立ち込め、
足守川の清流に小さな魚がはしゃぐ姿が見えた。
空気を胸いっぱいにすると、なぜだか胸が躍るような感じがした。

「生きて、しあわせを味わっている」

車の中には、コブクロのつぼみが流れ、神道山にのぼると、
桜吹雪と高台から見る景色が素晴らしい。
家に帰り、以前ご一緒した社長に連絡すると、
連絡して直接契約させてもらおうと思っていたという言葉。
さらに、某金融機関に行くと支店のスタッフ全員の紹介と、
支店長と人生と仕事とテニスについて飲み交わすという貴重な経験ができた。
更に、家に帰ると父が満足そうに自分の仕事の自慢をしている。
また、以前あったかわいい人からコーチングの依頼まで・・・。

「生きていて、良かった」

こころのそこからそう思った。
そして、周りにいる人のこころや瞳の奥を感じたい。
それが生きている証拠だから。

ちょっとや、そっとでこの状態を奪われないようにしよう。
全て自分で選ぶことができるから。

今日もありがとうございました。
また、しっかりと生きてお会いしたいです。

第101号:ビジョン。

朝からコーヒー館で今後の仕事の打合せをした。
今までは基本的には直接お金が発生する仕事が中心であったが、
4月に入って年度が変わってからちょっとだけ余裕がある。
というか、あえてぎゅうぎゅうには仕事を入れていない。

もちろん、家中が風邪で麻痺しているせいもあり、
なかなか仕事ばかりとはいかないという面もあるのだが・・・。

コンサルティングをする中でよくタイムマネジメントについて話をする。
コンサルティングというより、コーチングといったほうがあっているかもしれない。

人にはこのことをたびたび話してきているつもりだが、
まさに紺屋の白袴状態で、自分のこととなるとからっきしダメになってしまう。
目の前の仕事のスケジュールさえままならないし、
ましてや中長期のものになると具体的な計画なんかあったものではない。

そのような中、先日、初めてある人の導きもあり、3年間のビジョンを立てて動き始めた。
それまでの想いや理念だけでなく、中期の具体的なあるべき姿である。
ビジョンは外に出すものではないということなので、ここではあえて書かないことにする。

「ビジョンを持つことで何が変わるのか。」

  1. 具体的に何をすればいいかわかる
  2. 必要な行動量がわかる
  3. 成功の可能性を感じモチベーションがあがる
  4. 人を巻き込むことができる
  5. 必要な資源がわかる

その中でも強く感じているのが、人を巻き込むことや必要な資源がわかるということだ。
また、そのことを実行していくことは、自分にとっては全く新しいことであり、
今までのような自分だけの都合で動けばよいわけではない。
自分のスケジュールを明確にして、人と共有する必要もでてくるだろうし、
人と一緒に仕事をするためには、十分な付加価値のある仕事の受注もしなければならない。
いわゆるマネジメントのために必要なコストが発生し、
十分な収益を確保する必要がでてくるのである。

ちょっとしたことで、もともとの自分に戻ろうとする力が働くが、
このことも、あるべき姿の実現を阻む自分自身に課された障害だと思って、
正面から向き合いたい。

「このビジョンが実現したとき、自分にとってどんな大切なものが手に入るだろうか」

これが、「生きるよろこびの渦」を創るということであり、世の中からあきらめをなくすということだ。
自分自身があきらめることなく、強い意志を持って生きるということでもある。
確実に、勇気、行動、感動を提供していくことにコミットメントしたい。
そのためには、まっすぐに瞳の奥の想いをしっかりと感じたい。

強い意思を持って言いたいです。
ありがとうございます。

第100号:言い訳。

今日はひさびさにテニスの試合に出た。
ラケットを握るのも半年振りくらいで、おまけにガットを1本も張っていないので、
パートナーに借りての参加だった。

試合のほうはというと、第2シードのパッキンに入っていたため、
第1試合は会場についてすぐの1試合目だった。

立ち上がりは、先方が浮き足立っている面もあり、パタパタと2ゲームを連取した。
そして、相手のキープに続いて、自分のサービスゲームということになった。
十分に練習ができていたときや調子の良いときには絶対にキープするという
強い意志を持って自分のサービスゲームに臨む。
でも今回はちょっと違う。

そのサービスゲームに始まったことではないのだが、
恥ずかしながら、勝つことに対する自信もなければ、意思もない。
だからボールを打つそばから、自分への言い訳がオンパレードとなった。
もちろん、ボールに集中するどころか、まっいっかという感じである。

もちろん負けてしまったわけだが、終わってからも自分がしゃべっているのは、
練習に行く余裕がないということや、仕事が忙しいということばかり。
試合のどこが悪かったとか、次回はどうやったらいいのかということは一切ない。

「言い訳は何を意味しているのか?」

  1. 自分はテニスが下手だと思いたくない気持ち
  2. 自分を正当化したいという気持ち
  3. 今回は負けて当たり前なんだということを伝えたい気持ち

どうやらテニスというのは自分のアイデンティティの一部で、
へたくそであるということや、弱いということを認めたくないようだ。

終わって冷静になった思ったことだが、このテニスも人生の楽しみではないか。
どうせなら中途半端な気持ちで、負けて言い訳を並べるよりも、
もっと真っ向勝負で熱く戦って、こころから悔しいと感じたいと思った。

そして、今日のブログは記念すべき第100号なわけであるが、
自分にとって雪辱的なブログを書くことになってしまった。

こういったブログも自分の本音の部分を表現しているし、それはそれで良いと思うのだが、
今を100%で熱く生きることを標榜している自分を考えると、考え直す必要があると思った。

明日から、いや、この瞬間から熱く生きよう。
それが、「生きるよろこびの渦」を創る条件だから。

1分1秒でも多く、熱く伝えたいです。
今日もありがとうございました。
また来てくださいね。