アーカイブ: 2008年4月

第116号:耕と龍。

今日は徹底して家族サービスにすることにした。
どうせしっかりと楽しむのであれば、怒らないほうが子供のためにも自分のためにも良い。
ということで、目標を「1回も怒らない」ということに設定して臨んだ。

朝はみんなで歌謡曲を聴きながら目覚めた。
この歌謡曲も音楽のプレゼントとしていただいたものであり、家族はご機嫌だった。
朝食をとり、さらに、鯉のぼりを上げた。
久々に庭に出て畑の上の空気を吸ったが、ちょっとムワッとするが、
肺の奥から健康になりそうな気がした。

そして、妻ともいろいろと協議の結果、耕、龍の2人ともつれて、
鬼の城という山城の散策コースを歩くことにした。
耕は5歳7ヶ月、龍は1歳6ヶ月という幼さであるがゆえに、
いろいろな山での課題があるのに、その中でもっとも過酷なコースを選んでしまった。
大人の足で、4km、1時間40分というコースである。

車で現地に着くと、まず竹の杖が用意されていて、自分と耕が1本ずつ持ち、
耕は、龍に1本持たせた。
龍は途中でかならず持たなくなるし、自分が抱っこをするのがわかっていたので、
耕に持たせるなと指示したが、耕は譲らず、1人1本もってコースに向かった。
この時、私は怒っていた。

それからは、思いのほか簡単に3人はコースを歩き始めた。
龍は小さいので、コースをちゃんと歩いてくれないかと思っていたが、
まっすぐ前を見て、段々や上り下りをもろともしないで進んでいった。
もちろん、段々が大きいので、その時、龍の杖は耕に持ってもらった。

復元された西門、そして、くまばちの挨拶を受けながら、数種類のアゲハチョウ、
山つつじ、いろいろな木の新芽を味わいつつ前進した。
東門跡付近では、切り立ったがけの上に立ち、足下に広がる景色を眺め、
3人で鼻から大きく息を吸った。
本当においしい空気だった。

そこでトラブルが発生した。
東門付近はちょうど2kmくらい進んだところで、ちょうど中間地点なのだが、
なんと、持参した水がほぼなくなってしまったのである。

龍のほっぺを触ると、帽子はかぶっているものの、かなり歩いたからだろうか熱く感じる。
このまま歩かせるのは危険ではないかという思いがこみ上げてきた。
私は、龍をだっこして歩くことを選んだ。
そして、最初1人1本ずつもった3本の竹の杖を、耕にもたせた。

耕は、3本は嫌だと抵抗した。
私はだんだん腹が立ってきて、耕に行った。
「だから、言ったじゃないか! 龍のは要らないって!」
2回目怒ってしまった。

また、水がなくなったので、残りのわずかな水を飲むのに優先順を付けた。
龍 → 耕 → 自分(飲まない)
耕も納得し、龍が2回飲むと、耕が1回飲むくらいのペースで歩き続けた。
耕は兄貴らしく、ちょっと最初に不満そうな顔をしただけで、あとは納得して前に進んだ。

こんな状況になっても、子供はのんきなもので、いろいろなところに引っかかっては、
石を拾ったり、1つのものを凝視したりして立ち止まる。
私のほうは少しでも早く山を降りて、みんなに水を飲ませたかったので、
どうしても、先を急がせるよう促した。

このときに、私は耕にこんなことを言っていた。
「おまえは、お兄ちゃんだから、少し前を歩いて、龍と呼べ。」
龍をずっと抱っこしていられるわけではないので、龍が歩いているとき、
耕が少し先で呼ぶとひょいひょいと歩いてくれるのである。
それができていないと、「なんでできないんだ!」と怒りつつも、前に進んだ。

3人は私のピリピリのなかでも、いろいろな木や草や景色を眺めながら進んだ。
感覚としては、自分の気持ちも景色も十分に味わうことができないまま、
正直、この時は表面の薄っぺらいところで、楽しんだり、怒っているような気がした。
せっかく家族3人で歩いているのに・・・と思った。

私はこんな感じで、相変わらず怒っていて、変わることができなかったが、
フィニッシュでは3人は1人ずつの足で歩いていた。
耕が龍の前を歩いて、常に励ましてくれながら・・・。
りっぱな兄貴だと思った。

とても貴重な経験をさせてもらった。
自分は、自分の思い通りにならないと怒ってしまうことが非常に良くわかった。
こういった苛酷な環境であればあるほど、自分の感情をコントロールすることができていない。

耕のいろいろなことに興味や好奇心を持って見つめられたり、
周りの人のことを思いやる心をつぶしてしまわないように。

龍のおそれることなく、ぶつかっていったり、人を信じられる心を失ってしまわないように。

父として、自分の感情を優先するのではなく、子供たちの想いを感じてあげたいと思った。
しっかりと生きている実感を味わうために。
それが、家族の生きるしあわせにつながると思う。

もっともっと楽しい時間が作れるよう、自己管理が必要ですね。
でも、一緒にすごす時間が作れたことに本当に感謝です。
今日もありがとうございます。

第115号:不一致。

面倒なことが起こってしまった。
延々と書いたブログを誤って消してしまった。

このブログは自分のセルフコーチングのように活用している面もあるので、
なかなか同じ文章を書く気にはならないし、
とかいって、前回書いた文章も大事なことを書いているので記録しておきたい気がする。
あまり気乗りはしないが、ポイントだけもう一度書いて見ることにした。

最近、心の揺れが非常に大きかった。
落ち込んだり、悩んだりすることも多かった。

そんな時、励ましてくれたり、話を聴いてくれたり、音楽のプレゼントをしてくれたり、
自分の気持ちを察してくれて、気にかけていただいた。
本当にうれしいし、本来は自分がそういうかかわりを作りたいと思う。
これは、私が望むものである生きるよろこびへのつながりを感じる。

そんな風に考えていくと、
最近、自分の想いと言葉と行動に不一致が起こっているような気がする。
してあげるより、してもらうが増えているような気がする。

「なにが、不一致を生み出しているのか。」

  1. タイムマネジメントのスキル
  2. 人に嫌われたくないという気持ち
  3. 想いのブレ
  4. 自分はすごいとか、できるとかと思いたい気持ち
  5. 理想と現実、行動、そして、能力のバランス
  6. 自分や相手に対する甘え

この中から見えるのは、想いのみならず、自分の個人的なニーズが入り込んでいることだ。

コーチングの中には、いわゆる価値観とニーズという概念があり、
欲求5段階説によれば、これらの欲求は段階的に発生し、一つの欲求が満たされると、
その欲求は消えてなくなり、次の欲求が発生するというものである。
自分は想いを語るレベルではないのかもしれないと思った。

ただ、いろいろな方の話を聴く中で、本当にその人の想いを感じて心が熱くなるし、
場合によっては、涙もでる。
その人について尊敬もできれば、成功すれば祝福もできる。
そこに自分がしっかりと支援できれば、それはこの上ないよろこびである。

まずは自分が相手の気持ちを十分に感じ、まっすぐに信じる。
その中から湧き上がってくる自分自身のモチベーションをしっかりと感じてやろう。
そうすれば、自分自身の行動が変わる。

これのことを、コーチングやコンサルティングの現場のみならず、
通常の仕事や個人的な関係の中でも、実現して行きたいと思う。

まだまだ、すっきりしない自分がいますが、もっと自分をまっすぐに見つめて言いたいです。
今日もありがとうございました。

第114号:開放。

1週間くらい前から、今日は完全にオフにしようと決めていた。
だから、朝もゆっくり寝ようと思いきや、ついつい、5時に目が覚めてしまった。
そして、たまったブログを書きすっきりした。

そして、コーチングの本を読みながら、ユルユルしていると、皆が目覚めはじめた。
長男はたまたま今日私がテニスに行こうかといっていたのを思い出し、
連れて行って欲しいとねだる。
かわいいものである。

その公園にはテニスコートのみならず、遊具や水遊び場もある。
というわけで、妻も次男も連れて行くことにした。

このメンバーでうちをでるということになると大変である。
しかも、テニスのサークルはスタート時間が決まっているにも関わらず、
子供たちはなかなか思うように動かない。
妻は妻で仕事を片付けるので手いっぱいである。

そのような状況下、私は手伝いをするでもなく、
子供たちが動かないのを見て、イライラ、ピリピリしていた。
「早くしろ。」と強い口調で言っていたのを思い出す。

「何がそんなにイライラ、ピリピリさせているのだろうか。」

  1. 時間には正確であるべきという信念
  2. 仕事をしていないと時間がもったいないという感じ方
  3. 子供たちが自分の思い通りにならないこと
  4. 妻の時間感覚に対する批判的な見方

かなり、ネガティブなマインドでできていることがわかった。
特に、仕事をしていないことに対して、イライラするのはまずい。
ひきずり野郎だと思った。

どこへ行っても、どんなときも、仕事のことばかり。
全く、今を100%で生きていない。

よし、このGWは暦どおりで休みを取ろう。
そして、100%ではなく、120%その場、その時を楽しもう。
目標としては、1回も怒ることなく、妻や子供のすべてを楽しむことだ。

インジケータとしては、

  1. 自分が怒っていることをじわっと味わっている
  2. 子供の心に焦点が当たっていて、何を望んでいるかがわかっている
  3. 上記の結果、家族が常に笑顔である

休みは、4月29日、5月3、4、5日の4日間をいただき、
うちに子供たちとテントを張って、バーベキューをして、釣りに行こう。
冷たい地面を感じながら、子供たちと語らいたい。
きっと、そこには、「生きるよろこび」があると信じている。

今日は自分が引っかかっていたいろいろな問題が解決しました。
感謝という言葉では足りないような気がします。
今日も本当にありがとうございます。
また、来てくださいね。

第113号:反省。

昨日から続いている体調不良もやや治まった。
睡眠時間こそ、そんなに多く取れたわけではないが集中して寝た!?せいか、
目覚めは非常に良かった。
ただし、今日は複数の会社が集まる研修があり、正直、ちょっと緊張である。

というわけで、今日も現場に向かった。
研修の結果は、もっとも伝えたいことはしっかりと伝えられたと思うが、
テクニックの部分が今ひとつだった。
伝え方がテキストによる説明が中心になってしまったからだ。
量的にもちょっと無理やり押し込んだという感覚もある。

終了してからお客様と師匠からは、自分で感じているのと同じようない反応があった。
そのことを聞いて自分の中に取り込もうとすると、
どうしても共にいられない感情が沸き、言い訳を始めてしまう。

帰りの車の中でも、ずうっとその感情が引っかかったまんまだった。
師匠に、「社長は何か行っていましたか。」とか、
「どこを改善ないといけないですか。」という質問をしたら、
次のような返事が返ってきた。

「85点。」、「社長も満足していた。」

「顔の広い社長だから、また他でも紹介してくれるだろう。」

「会社が違うし、参加者のレベルも違うから仕方がない。」

「この言葉を聴いた私には何が起こったか?」

正直、すっと肩の力が抜けて、安心して、報われたような気分になった。
自分はOKなんだと・・・。
多分、自分が欲しかった言葉だったのだろう。
次の瞬間には、次回は必ず問題解決しようという思考が働いた。
必ず問題解決して、師匠の期待に応えたいと思った。

これだけ徹底的に承認してくれると、本当に安心する。
同時に自分にはもっとできたはずだと思えるようになる。
論理的に考えるべきところに感情が入ってぐちゃぐちゃになっているのが、
すっと感情の部分が満たされて、解け落ちるような感じである。
また、そこであっけらかんと笑う師匠のすごさを素晴らしいと思った。

この件で自分の反省のみではなく、感じたことがあった。
訪問先の会社の方のモチベーションが非常に高かった。
そして、とても笑顔が美しく、本当に細かく気配りされていた。
極めつけは、休憩時間に現場に出てコミュニケーションしたときに、
現場の改善や内部のコミュニケーションについての自慢話を、
涙を浮かべながら語ってくれたリーダーがいた。
社長を始めとするマネジメントの成果だと、心から感動した。

こんな会社の中で、目標設定や改善のミーティング支援やコーチングができたら・・・。
こちらのほうもワクワクである。
また是非提案してみたい。

最後に、自分の責任で問題解決できることは必ずしていきたいと思った。
同時に、相手に対して要求したいことや言いたいことははっきりと伝えながら・・・。
何が目的で、その中で、何が問題なのかを明確にすることが大切だと思う。

自分にとって厳しい出来事を受け取りきれない自分がいます。
でもたくさんの会話があって、信じあえる人がいれば・・・。
今日もたくさんの気づきをありがとうございました。
また来てくださいね。

第112号:体調不良。

今日は真夜中から腹痛となり、幾度となく起きたため眠い。
というか、体調不良である。

こんな時こそ自己管理する必要があると感じ、お互いに心象の悪い状態にならないよう、
午前中の打合せは本当に手短で簡潔に終了させた。
だからといって会話が不足しているわけでなく、ゴールに向かってまっすぐという印象を受けた。
こういう打合せも日常業務の中で、効率的に意思決定するような場合は非常に良いと思った。

昼いったん家に帰っても、相変わらず体調不良である。
振り返ってみても、何が原因で、何が悪かったのか良くわからない。
ただ食べ物によるものでも、風邪によるものでもないような気がする。
気合を入れて外出していれば、問題が発生しないような気もする。

ということで、昼からは師匠と共に今日もロングドライブである。
いろいろな会話を楽しみながら、車に乗っていくのが本来楽しみなはずなのだが、
今日はちょっと違った。

いろいろな会話をするのだが、体調不良の結果、相手の声が耳に入らないし、
自分の体調が悪いというテーマの枠組みの中で、聴き、発言し、感じ取り、
どうしても私が大切にしている相手の“想い”を感じることができないし、
もっというと、自分の“想い”も吹っ飛んでしまう。

ただただ、自分がしゃべりたいのは体調が悪いということであり、
相手にとってははなはだ迷惑な状態である。
おまけに、助手席に乗った私はいい気なもので、夜寝られなかった分ずうっとうとうとしていた。
このことについては、本当に身勝手で、相手の立場を考えていない不届きなやつである。
その時間を生きるための自己管理が全くできていない。

「自己管理された状態とは、どのようなものなのか。」

  1. 相手の立場に立ったコミュニケーションができている
  2. 自分のニーズを満たすことだけに焦点が当たっていない
  3. 自分の本当の想いを常に胸の中に感じている

以前、コーチングラボウエストの「人生の展覧会」という研修の中で書いた、
大木のイメージを思い出した。
自然にどっしりと立ち、その木の枝にはいろいろな動物や昆虫が集まり、
大木はただただ静かに立ち、周囲の想いを深く感じている。
自分から強く要求したり、非難したりしないし、自分を守るためにスイッチも入っていない。
あるがままの状態である。

師匠は車で走っていると、「寝てていいよ。」といってくれた。
私は少しでも起きて、会話をしたり、退屈させないようにしたかったのだが、
どうしても体調不良と睡魔に勝てず、失敬してしまった。
師匠のようにあっけらかんとして、かつ、相手を自然に気遣うような人になりたいと思った。

体調不良を言い訳にしないで、しっかりといろいろなことに向き合える自分になりたいです。
今日は、静かに感謝の気持ちを持って言いたいです。
ありがとうございました。

第111号:余裕。

ひさびさに早朝ミーティングがない朝だった。
しかしながら、午前中のミーティングに行くまでに作らなければならない資料があり、
目覚まし時計で4時頃に一度目を覚ました。

資料作成に余裕があるのか、疲れなのか、それとも、
「春眠あかつきを覚えず。」なのか解らないが、とにかく起きるのが嫌だった。
というより、寝ていたいという感じがした。
昨日の愛しさの余韻かもしれない。

そして、出発の時、若干の心配も抱えつつ車に乗った。
今日は比較的、長距離のドライブになるので、これがまた余裕となり心地よい。

さらに、1件目の打合せで心配なことも片付き、
今日はさらに長距離のドライブとなったので、胸がぽかぽかしながら、
というかルンルンしながら車で走った。

昼ごはんは本場の讃岐うどんを食べた。
釜揚げでいただいたので、ぬめりがあって、締まっていない麺がもちもちとして最高だった。
アポイントの時間にも余裕があったので、30分くらい居眠りをすることもできた。
ペースが最高に余裕があった。

「いつも自分を急がせているものは何なのか。」

  1. 人よりもより一歩前に出たいという闘争心
  2. 少しでも多くのことをやりたいという気持ち
  3. 期待に少しでも応えたいという気持ち
  4. 自分のことをすごいと思いたい気持ち

どれもこれもが前向きで、今までの自分としては“良し”としてきたことばかりである。
でもこのことが、自分の肩を凝らせ、心を硬くして柔軟性をなくし、
疲れさせているような気がする。

「自分を楽にする」という今年のスローガンにも通ずる点があると思った。
そういえば、素晴らしき支援者も現れ、仕事を選ぶという感覚もわかり始め、
意識しないまでも、徐々に変化しているように想う。
ちょっと最近できていなかったのは、「はやきこと風のごとし」のところだ。
もう一度、意識してみよう。

余裕が出てくると、本当に、愛しさや今の味わいが深くなる。
もっともっと、いろいろなことを味わいきってみよう。

あと、スーパー社長の“スムース”という言葉が、印象に残った。
“スムース”がバロメータだそうな。
この内容についても、時間があるときにいろいろと考えてみたい。

余裕を持って、この世の全てを感じながら言いたいです。
今日もありがとうございました。

第110号:愛しい。

朝起きたとき疲れも極限に近いと感じた。
ということで、ブログもトビトビに書くようになっていて非常に心地悪い。
今日もやっとの思いでブログを書き、追いつくことができた。
ちょっとだけ、エネルギーが高まったような気がした。

今日で9日連続の早朝仕事ということで、出発した。
うぐいすが鳴き、ひんやりとした空気が、眠い状態の自分であっても心地よく感じた。

例によって今日はO君と一緒だ。
接していると体調のよさもあるのだろうが、少しずつ力強く変身しているのがわかる。
少々、自分の心が痛んでいたのが良くなってきたのかもしれないが、
O君の想いや大切にしていることが、感じられるようになってきた。

そういえば、今日は相手の想いの有無やブレを敏感に感じて、
強い違和感を感じているのに気がついた。
強い想いを持っていることで、他人からの厳しいフィードバックを受け取れたり、
忙しい中で時間を上手に活用してやりたいことをやれるようになるのだと思う。

「間違っている人はいない。」というコーチとしての基本姿勢があるが、
これをいかに実践し、想いを明確にしてあげられるのかが重要だと思った。
たとえそれが、自分が恐れていることや嫌なことに立ち向かうことになったとしても・・・。

前向きな想いにそって生きている人の瞳は本当に美しいし、
それを感じただけで、愛しい存在となる。

今日も、経理担当者として会社を良くしようと想っている人、
自社の製造プロセスをお客さんに満足できるものにしようと想っている人、
会社を従業員にとって学びとよろこびが得られる場所にしようと想っている人、
本当に素晴らしい瞳に出会えたのを誇りに想っている。

そんな中でも夜のコーチングは私にとって本当に大きなエネルギーをくれた。

「自分を知りたい」という想いで一生懸命に自分を見つめ、振り返り、
質問に答えようとするその瞳が、愛しくて、愛しくてたまらなくなった。
恋愛の春のような気分である。

心の中で起こっていること、つまり、感情の動きや大切にしていること、
一つずつが本当に大切な宝物だと思った。

「この愛しさは何から生まれるのだろうか。」

  1. 自分自身とまっすぐに向き合う姿勢
  2. あきらめたり、投げやりになったりすることのない心
  3. 素直な心や一生懸命さ

これって、自分自身が求めていたり、自分自身に求めていることなのかもしれない。
それが自分の想いなのだろう。

「あきらめをなくし、生きるよろこびの渦を創る。」
そのためには、勇気、行動、感動を提供する。
自分自身にも愛しさを感じるようになると良いと思った。

愛しさをこめて。
今日もありがとう。

第108号:自分の力。

実に約1週間の早朝ミーティングが続いている。
基本的にどうしても何とかしたい案件があるからである。
毎朝その打合せをしていると、だんだんその感覚も疲れのほうが強くなる。
そうしていると、自分の力そのものに若干の不安がよぎるようになる。

先日、フルフィルメントを考えていて、自分自身のバランスを失っているせいか、
自分の力にも疑念が生じていることに気がついた。
こんな時こそ、熱い想いと工夫を持って仕事に望みたい。
ということで、以前からお世話になっている社長にお会いした。

「この人が本当に望んでいることは何なのだろうか。」

素晴らしい人格を持っていても、この望んでいることがストレートに伝わってくることは少ない。
やはり、いろいろな制約や枠組みの中での悩んでいることが伝わってくる。
日々、努力していても乗り越えられない壁のようなものがあるのだろう。

また、以前、現場の改善でお世話になった方がいる。
昨年末よりかかわりを持っているのだが、やはり、自分で何とかしたいことがあっても、
動き出すことができないままなのである。
きっと、環境を気にしたり、自分の潜在意識に克つことができないままなのであろう。

これらのことを、コーチングの用語では、妥協とか未完了というように呼ぶ。

この言葉の解説は、またにしたい。
ちょっと待ってくださいね。

第109号:大丈夫。

朝起きると、うぐいすがさえずり、冷たいけど少しぬるんできた空気が心地よい。
早朝ミーティングが続き、そろそろ体力的にも精神的にもちょっとつらくなってきた。

そんな中、少々うまくいかないことが続いたり、いろいろな事に圧倒されたりで、
ふと影のような不安が立ち上がる。
この不安は、自分がしっかりした状態の時には全く関係ないのだが、
ちょっと心が弱くなっていると、じわじわと体中に充満していくような感じがする。

そんな中、朝からのミーティングでは、その専務の想いがめちゃくちゃ感じられて、
また、お母様の温かい言葉があって、自分がほぐされていくのを感じた。

また、O君の営業報告ややった結果の充実感、
そして、一緒に仕事に取り組む姿勢の前向きさを感じていると、
うれしいということ以上に、頼もしさのようなものを感じた。

さらに、素晴らしいコーチが、私に本当に楽しそうに海外で起こったことを教えてくれる。
その感覚は、自分が坂本竜馬になったような感じである。
海外で起こっていること、新しいことを楽しそうに、すっきりとした声で話す社長を見ていると、
自分への期待というか、「頑張れよ」、「大きくなれよ」というようなメッセージを感じた。

「自分は大丈夫だ。」

まずは、自分自身だけでなく、相手にもささやきながら生きて行きたいと想った。
きっとそれは、自分が「あきらめをなくし、生きるよろこびの渦を創る」という強い想いをもって、
行動することもあるだろうし、
こんな私でも、支援してくれ、期待してくれ、受け入れてくれる素晴らしい方がいる。
もう一度、大丈夫だといいたい。
それは、ものの見方や捉え方をコントロールして、自分を楽にすることにもつながると感じた。

本当に、本当にありがとうございます。
もっともっと、そんな気持ちを世の中に創り出していきたいです。
また来てくださいね。

第107号:倉敷三斎市。

久しぶりに、社会貢献活動ということで、AM5:45~倉敷三斎市に行った。
こちらのほうも、昨年からあるご縁があって参加するようになったのだが、
京都に研修に行く関係で、昨年8月に1回参加したきりで、
それ以降、全く参加することができていなかった。

そのような中、先日、朝市の企画委員会長のすばらしき先輩よりご連絡を頂いた。
そして、青年部活動にほとんど参加していない私のために時間を割いていただき、
直接いろいろとお話をうかがうことができた。

今回は、そのうれしいお気遣いもあり、
さらには、自分が以前より志していた自分が生まれ育った街である倉敷に
少しでも恩返しをしたいという想いから、再度活動に復活することにした。

結論としては、「参加して良かった」である。
正直、担当させていただいたキャラクター募集の表彰イベントは、
自分としては今ひとつぱっとしなかったのだが、
三斎市を盛り上げていこうという人々の想いに触れることができ、
仲間として、自分の街の倉敷のために生きているという実感を感じることができた。
「存在意義」というのは、こんなところから来るのであろう。

「倉敷にとっての自分の存在意義とはどのようなものなのか。」

  1. 倉敷の人々の「生きるよろこびの渦を創る」こと
  2. 生まれ育った街を元気で活気があるようにすること
  3. 子供たちのよろこぶ笑顔であふれさせること

ありきたりの言葉のように思えるし、今の自分がどこまで本気でそう思っているのか、
正直言ってまだまだだなと思うことはある。
ただ、昨年8月に三斎市に参加したときに感じた「人のために生きる」、
「あげる」とういような見返りを求めない心は嘘ではないと思う。

親子で楽しく、“お菓子すくい”をして、よろこぶ顔、楽しそうな声、
全てが、「生きるよろこびの渦」であるような気がする。

そのシチュエーションにおいて、私は小さな石であると思う。
水の中に思いっきり飛び込み、少しでも力いっぱい波を立ててみたい。

それを実現していくためには、会社としての体をなし、
経営者として価値を創造し、提供していくことが必要だ。
いつまでも、いちコンサルタントとして活動しているようだと社会貢献活動はままならない。

まだまだ、至らない自分がいますが、存在意義をかみ締めながら、
そして、自分の可能性を感じて生きて行きたいです。
是非、またご一緒できるのを楽しみにしています。
今日もありがとうございました。