アーカイブ: 2008年3月

第84号:三寒四温。

暑さ寒さも彼岸までというように言うが、今日はとても寒い一日だった。
そんな中、朝からなかなか終わらない計画書の作成に取り組んだ。
部屋の中はとっても暖かい。

昼からは、県北のほうへ出張となった。
移動時間は2時間強。
ある意味、立ち止まって、思考や感情を整理したりできるとても好きな時間だ。

ちょっと前までは雪が積もって銀世界だった景色が、
今は土色と、冬の厳しさの跡が感じられる緑色に変わった。
私は車の暖房をつけポカポカ状態で、O君にもらったお気に入りのコブクロのCDをかけ、
口ずさみながら車を走らせていた。

あるところからは、清流の脇を走って北上する。
水がきれいで、でも力が感じられる。
今年積もった雪の雪解け水が流れているのかなと思った。
明らかに春が来ている。

最近のエネルギー不足のせいか、
春を感じながらも、心にうっすらと霧がかかったような状態を感じた。

「この心の霧は何でできているのか。」

  1. 自分の不徳とそれを解決できないこと
  2. 捨てるべきものや障害を持ち続けていること
  3. 十分な知識や情報のインプットができず自信がないこと
  4. 40歳手前になりビジョン実現のための時間が少なくなっていること
  5. 家族や知人との別れの寂しさ

たまたま、今日は少し早めに家を出かけたため時間に余裕があった。
この心の霧を吹き飛ばそうと、暖かい車の中からでて、清流が流れる河原に下りてみた。

おりた瞬間、春とは思えないほどの寒さと河原に沿って吹く風に圧倒された。
そして、畑の畦を通って河原に向かったが、朝夕の冷え込みがあるせいか、
畑の土がフカフカになって、水っぽくて、靴が埋まってしまう。
河原に下りて、1分もたたないうちに、車に引きかえってしまった。
春の息吹を十分に感じることもできないまま。

自身の今を味わう力が不足していること、それから、弱虫であることを今感じている。
自分への弔辞の覚悟はどこへ行ったのだろうか。
仕事、家庭、人間関係、趣味、全て流されてしまっているのではないか。
この人生を大きな風船のように膨らませるために私がすべきことは何なのか、
もう一度考え直してみる必要があると感じた。

人生はまさに三寒四温であり、時には寒く、時には暖かくなるものだ。
これから最高の春を迎えるためにかならず通る通過点である。

その夜、会計事務所のSさんと夜中まで話をしたが、
お金やビジネスでの名誉など、欲しいものはたくさんあるわけだが、
生きることそのもの、つまり、自分の人生の意味を考えることが何よりも大切だと思った。
これが、「展覧会の木」であり、「あきらめをなくす」、「生きるよろこびの渦」である。

今日もありがとうございます。
一緒に人生や仕事の意味を捜し求めていけたらいいですね。
パーソナルコーチングも今1名だけ募集をすることにしました。
興味がある方や受けさせてあげたい方がいらっしゃいましたら、
気軽に声をかけてくださいね。

また来てくださいね。

第83号:まじめ。

「春眠暁を覚えず。」ということでなかなか起きられない。
布団の中でごそごそPCをつつきながらの目覚めとなった。
とはいえ、すべきことがたくさんあるので、気を抜くわけには行かない。

今日は朝からコーチングということでお客様のところへ向かった。
すべきことが多くて、落ち着かないし、集中できない。
自分の心の揺れを感じながらセッションが始まった。
結果としては、何とか相手にとって大切なものを提供できたと感じた。
勇気、行動、感動を提供するために、コーチングにまじめに取り組んでいる。

私は、そういう点において、自分では非常にまじめな性格だと思っているし、
まじめなことが非常に重要だと思っている。
それでも、まじめだったらなんでも何でもうまくいくのかというとそうでもないし、
自分はまじめにやっているのに、人からはふまじめといわれることがある。

「自分が考えているまじめとは、何を意味しているのか?」

  1. 手を抜かず、100%でいること
  2. あきらめないで、コツコツと続けること
  3. 物事を真正面から捉えること
  4. 世間一般的に正しいということ自分へのこだわりが強いさま

やはり、非常にポジティブなイメージとネガティブなイメージが共存しているようだ。
まじめということだと、なんだかおとなしくて、静かな暗いイメージになる。
おとなしすぎたり、融通が利かなかったりする。

“くそまじめ”というと、これもネガティブなイメージが強くなるが、
ちょっと違った意味での良いイメージが出現してくる。
そこまでこだわりぬくという観点だ。

そうか! 何にこだわるかが大切なんだ。
自分の殻に閉じこもって、かわいい自分を守るという様もまじめだが、
自分の殻を大きく打ち破って、自分の想いやお客様に提供する価値にこだわるということも、
明らかにまじめである。
どちらかというと、圧倒的に後者でありたい。

後者であり続けることが難しいときもある。
そんな時は、自分で自分にNOというメッセージを送り責めてしまう。
逆に築かないと、相手と自分の間にまじめ度についてギャップが起こる。
これも、コミュニケーションの上では問題だと思う。
感情的にならずに、客観的に自分を見つめる能力が必要だ。

ちょっと、自信がなくなってきた。
仕事しなきゃ。

今日もありがとうございます。
自分を厳しく見つめることも大切だけど、自分に優しくしてあげることも大切ですよね。
しっかりと甘えられる自分でいられることにも、まじめでいたいです。

ここでいろいろなことを表現することにもまじめでありたいです。
また来てくださいね。

第82号:ブログのネタ。

なかなか最近ブログに書くネタに困るようになってきた。
書き始めた頃は、全くそんなことなく、生きがいのように思えてやってきた。
なのに、ここ数週間にいたっては更新が1日遅れになってしまうことも多々あるし、
他の仕事が忙しいことも手伝って、なかなかブログへの意識が向かない。

「ブログを開始したときと何が変わったのか?」

  1. ブログを書くことに対する新鮮さ
  2. 仕事内容や状況
  3. 想いやビジョンなど自分への理解度

ブログを書くネタが苦しくなったとき、自分へのネガティブなイメージが感じられたが、
3.のように自分の想いやビジョンなど、同じことを繰り返し書くことに、
自分としてはブログの内容が読み物として面白くなく感じているのかもしれない。
そういう面では、自分への理解が高くなり、非常に効果があると思う。

1.については、やはり続けることの難しさを感じる。
とりわけ、新しいことが好きな自分はこの壁を越える必要があると思う。
いわゆる、極める、そして、そのために工夫するということだ。

「極める、工夫する具体的な案は何か?」

  1. デジタルカメラを活用して写真を入れる
  2. 情報収集源と情報整理の仕組みを作る
  3. 常に想いとビジョン、方針を意識して行動し、味わう

うまく、組み合わせるのが一番だ。

そもそも、このブログは勇気、行動、感動を提供するために書くものだった。
最近、疲れや落ち込みがあり、提供すべきものができていなかったのかもしれない。

軸に沿ってブレずに行こう。
芯のある声で言いたいです。
今日もありがとうございました。

自分への弔辞というブログを書いてから、なんとなく、閲覧者が減っているような気もする。
重すぎるのかな?
また、ご意見を聞かせていただけるとうれしいです。

第81号:求めない。

今日は妙に落ち着いて判断ができるようになった。
ちょっとここ数日エネルギー不足を感じて休みを十分に取ったり、
身体を動かしたりしたからだろうか。

といいながら、じっくりといろいろなことを味わうと、
重かったり、ムカッときたり、なんだか痛いものが胸に突き刺さったりと、
結構いろいろなことが起こってくる。
今日は、うれしいことと、つらいことが交互に起こった日だった。

うれしいのは、
一緒にやってきた仕事の目標が達成されて、
そして、今後ももっと一緒にやっていきたいという気持ちをいただいたこと、
それから、ある人から西田を何とか育ててやろうという気持ちをいただいたこと、
さらに、ある人が自分の想い、つまり、人生キーワードを聞けたということ、

なんだか、人生レベルでうれしいことが満載だった。
何かしてもらったこと、というのはこんなにうれしいものかと思った。

ちょっとつらいことは、
自分で思い通りに仕事がはかどらないこと、
ある人から私としては懸命に取り組んできたのに、辛らつな言葉を伝えられたこと、
これは、今までにあまり経験がないほど憎憎しさがこみ上げ、
その時はぐっと我慢したが、ちょっと吠えてみようかと思うくらいである。

私流のコーチングでは、「おもいっきり、吠えてみて!」とか、
「もし言葉にするとすると、どうなるの?」という。

「だからおまえは××××××されないんだ!! ○○野郎!!」と思いっきり書いてみた。
(正直あまりすっきりしていないが、コーチングでは自浄作用が働きすっきりするはず・・・)

仕事がはかどらないのはともかく、辛らつな言葉が今でも胸に刺さり、
一生懸命にやってきたのに、もう・・・という感じである。
周りからの影響を受けるのも人生の味わいとしたいところである。

「解ってもらえない悔しさ」がこみ上げてきた。

今日たまたまある恩師からの電話でそういう話をしていたところなので、タイムリーヒットだ。
その方がケーキ屋で発見した、「求めない」という言葉がある。
どういう意味かインターネットで調べたり、考えたりしてみた。
あまり明確な答えは見つからなかったが、下記のような感じかなと思った。

何かをしてあげた。
それでも、何か帰ってくることを求めないということである。
これは、金銭的にも、精神的にも両方当てはまる。

そう、自分軸で生きることが大切なんだ。
私には大切な軸がある。

「生きるよろこびの渦」を創る。
そのために、勇気、行動、感動を提供する。
その時私は、今を100%で生きる。
熱く生きる。
「あきらめるな。絶対できる。」と励まし続ける。
イメージとしては、大きな懐深い枝を持つ「展覧会の木」のように。
どんな時でも、全てを味わい、受け入れる。
まっすぐ信じている。
もっと、皆が自分に自信を持って、自分だけのヒーローを育てていけるように。

すべて、あげることだ。

よし、もう一度頑張ってみよう。
明日が楽しみになってきた。

嫌なこともしっかり味わって、明日への糧にしよう。
今日も良い気づきをありがとうございました。
また来てください。

第80号:五省訓。

空手と空手道というのは違うものらしい。
日本古来の武道にはこの道という字がつくものが多い。
例えば、柔道、剣道、合気道といった具合である。

何が違うのかというと、
空手は、相手を倒すためにあるものであり、
空手道は、その道を究めるためにあるものであり、
道がつくと、相手を傷つけてはならないものになるらしい。

「この道とはなんなんだろうか。」

私がやっている空手道では、唱和を毎回する。
とくに、終了時には、空手とはほとんど関係のない内容のものをである。
これが「五省訓」である。

一つ、今日一日を怠りはしなかっただろうか。
一つ、今日一日の行いは正しかっただろうか。
一つ、今日一日の言葉に悔いはなかっただろうか。
一つ、今日一日は気力にかけることがなかっただろうか。
一つ、今日一日は誠を尽くしただろうか。

この内容というのは、私の生き方である「生きるよろこびの渦」を創るに
非常に近いような気がする。

この言葉の中には、私が提供したいと思っている勇気、行動、感動が含まれている。
そして、練習の最後に振り返ることによって、PDCAサイクルが機能する。

子供たちには、「私たちの誓い」というものがあり、自分がどんな人間になるか誓う。
これはある意味、行動基準というものなのであろう。

つまり、道とは、自分自身の想いや人生の意味を見つけるプロセスだと思う。
様々な武道があるが、心と身体を鍛えながら、その喜びや苦しみ、
そして、痛みを味わいながら、自分の生きる道を見つけるということなんだろう。

最近、計画書作りに追われ、「あきらめをなくす。」ためのコーチングができていない。
忘れてしまうわけではないが、想いが薄かったり、疲れて自分に矢印が向くことが多い。
このエネルギー感についても、もう一度充填するための仕組みについて考えてみたい。

今日一日が、気力に欠けることがないよう、もう一度、「今を100%で生きる」、
「熱く生きる」、「あきらめるな。」とつぶやいてみたい。
あと、車検で、車の中の張り紙がなくなってしまったので、これからはっておきたい。

熱く、やけどするくらいの気合を込めていいたいです。
今日もありがとうございました。

第79号:父。

最近父の元気がない。
孫たちと話をしているときは、割と楽しそうだが、
私と話すときになると、少々だんまりというか、寂しそうなというか・・・。
時には非常に批判的であったり、
時には働きすぎの私に過労死をしないようにというような言葉が出てくる。

「父の心に何が起こっているのだろうか?」

血のつながっている人であるがゆえに、何を考えているのかというのは、
あまり考えたことがなかったように思う。
要するに甘えて自分が好きなように振舞ったり、
何を考えているかなどは意に介さなかったのだろう。

最近、よく疲れたという言葉を口にする。
今まで聞いたことのない言葉で、聞いているほうが大丈夫か心配になる。
そう、きっと自分の存在や存在価値を感じたいのだと思った。

私が、この37歳になるまで、本当に多くの試練をくぐり抜けてきてくれた。
最近まで新しく商売を始めた私を指導し、支援してくれた父。
そろそろ、親孝行を考える年になったとつくづく感じている。

4世代が生きる家族をもっと楽しく、充実したものにするためにはどうすればよいか。

家庭の中でできる、身体に負担がなく、皆一緒にできることをやりたい。
これから暖かくなるので、やっぱり、庭でバーベキューがいいか、
それとも、ちょっと、お菓子でも飲みながら、日が高いうちからビールを開けて、
畑で取れた野菜でもかじってみようか。
あとは、子供たちの歓声があるとこの上ない喜びがありそうな気がする。

親子との関係というのは、近すぎて少々難しい面もあるのだが、
少しでも多くの時間を一緒にすごすこと、
そして、多くの言葉を交わすこと、仕事ではしっかりと考え方を聴くこと、
他にどんなことがうれしいのか、更に考えてみたい。

子供ができて、育てて、子供の純粋な気持ちを感じると、
親子というのはつくづく良いものだと感じる今日この頃です。
父に感謝の気持ちを伝えたいですね。
ありがとう。

また来てくださいね。

第78号:中トロ。

今日はある人と一緒に仕事に出かけた。
ある意味、師匠のような方である。

わりと長い距離をご一緒することになったのだが、延々と食い物談義となった。
今までに食べたおいしかったものとか、ありがちだけど、好きなものとか、
嫌いなものとか、さらには、それが好きな理由などについてである。
特に嫌いなものの中には、その人の性格のようなものが感じられる。

「嫌いなものがあるというのは、どういうことなのか?」

  1. 食べず嫌いがある
  2. 味わいきれていない
  3. 受け入れられていない

というような言葉が浮かんだ。
例えば私で言うと、まず納豆があるが、これは、1.に該当するだろうか。
ちょっと鼻が利きすぎて、匂いのきついものはまずダメである。
口に入れる前に、ちょっと来るものがある。

あと、ほうれん草だが、こちらのほうは3.に該当する。
どうしても、ほうれん草独特のあの香りが受け入れられず、
何階食べても、ちょっと来るものがある。

さらに、ブリやヒラメのエンガワの刺身だが、こちらのほうは2.に該当する。
どうしてもあの脂っこさに耐え切れないのである。
じっくり味わう度胸さえない。

こんな風に考えていくと、好き嫌いの多い人は少々人生に浅さを感じてしまう。
自分の場合、嫌いなものができてしまうというのは、食べ物だけでなく、
上記の1.2.3.のいずれかが理由であるからである。

この世に生まれてきて、生きるよろこびは、今という時間をいかに味わい、
お互いに受け入れあい、味わい、よろこびで震えあうことではないか。
そもそも見かけが嫌いだから、ちょっと、匂いが強いからとかというだけで、
遠ざけてしまうのはディスカウントであり、本来人間がもっともされると嫌なことである。
自分の人生を大きくすると同時に、人の人生にも影響を与えられるようになりたい。

さらに、本当に好きなものとの出会いは、人生を豊かにする。
どんな魚が好きなのかということについて、いろいろと話し合ったけど、
私は鯛とかかんぱちとか、どちらかというと白身のあまり脂っこくないものが好きだった。

もう一人の方は、迷いなく中トロと答えた。
大トロではなく、中トロである。
大トロは脂っこすぎて、一切れ食べれば満足してしまう。
だからといって、鯛のような白身魚は淡白すぎて味がしないし、
刺激やエネルギーのようなものを感じない。

いい中トロが入ると、行きつけのお店から連絡があり、店に誘われるそうだ。
少しくらい高くても、ぬる目の燗をつけていっぱいやりながらつまむ。
これが至福のときだそうな。

人生を味わい、楽しみ、そして、酔う。
その時間の芳醇さは、想像しただけでもうっとりする感じがする。
更にその中に、苦手なものでもしっかり味わって生きていけると良いと思う。
全てを受け入れ、生きている実感を味わいきる感じである。

最近は、味わうということがテーマになっています。
一方で、自分を楽にするとか、風林火山の心を失いつつある感じもあります。
ブログも遅れがちだし・・・。
やっぱり、メリハリですね。

生きているよろこびを噛み締めながら言いたいです。
今日もありがとうございました。

第77号:英気。

今日はたまりにたまった仕事を片付けようと、わりと長く家で内勤した。
家で仕事をしていると、世の中から取り残されたような気分になり、
ゆっくり安心できる反面、ちょっと不安な気持ちがよぎる。

「本当は、お客様のところへ行かなくていいのか?」とか、
「もっと営業して、次の仕事を取りに行かなくて良いのか?」とか、
家で仕事をさせないための言葉が、聞こえてきて、私の自由を奪っていく。
今日は、その言葉にも負けることなく、じっくりと自分と向き合うことが出来た。

といいつつ懸命に作業を進めて言ったが、なかなか仕事が進まなかった。
収穫としては、一定の時間で出来る仕事の量を客観的に感じたことだろうか。
これが解ることは、私にとってはとっても大きいことである。

「内勤をすることは、私にとってどのような意味のあることなのか?」

  1. 情報や知識を蓄えること
  2. 平静な自分を取り戻すこと
  3. お客様のために準備をして、自信を作りあげること

その時間は、例えるとするならば、根を深く広く伸ばしたり、幹を少しずつ膨らませたり、
汚れたものを洗い流してスッキリにすることになっているようだ。
あまり休めていないので、休みに近い効果があるのかもしれない。

そういえば、最近、内勤が非常に少なくなっていると思う。
私のものすごく準備をして、お客様の意向とは違うものを押し付けるのは本意ではない。
その人がその時に望むもの、つまり、その瞬間を大切にしたいと思っているからである。

不思議なもので、その瞬間の思考や感情に基づいたコミュニケーションのほうが、
成果につながりやすいし、満足できるようだ。
スッキリとした自分でその場に行きたいと思う。
そのためにも、英気を蓄えておきたい。

今日は世界フィギュアの女子フリーのテレビ放送があった。
中野由香里は惜しくも4位に終わったが、ノーミスの演技、そして、すがすがしい笑顔で、
「自分ができることはやりきった」と言い切ったインタビューが印象的だった。
常に努力し、命の燃える瞬間だと感じた。
やっぱり日頃の鍛錬と、自分との約束を守り、自分を尊重することがなにより大切だ。

今日もありがとうございました。
スッキリとして、力みなぎる声で言いたいです。
ありがとうございます。

第76号:尊敬と祝福Ⅱ。

朝から息子の空手の試合ということで、県南部にある体育館に向かった。
どうしても朝から家族で出かけるということになると、怒号が飛び交うことになる。
妻は息子に「早く食べなさい」、「自分で準備しなさい」といいながら走り回る。
私もついつい息子に「いいかげんにしなさい」といってしまう。

その上、朝家をでるのが遅くなると、私は妻に「結局お前が遅いんじゃないか」といってしまう。
妻の負荷が朝は高いというのを知っていながら・・・。
その結果、行きの車の中は最悪の雰囲気で、ピリピリ、ジメジメといった空気で汚染される。

今回はもっと悪いことが起こった。
行き先を誰も調べずに走り出してしまった。
解っているのは、岡山市升田、六番川水の公園ということだけだ。
何人かの方に連絡して確認しようとしたが、なかなかつながらないし、
その住所や公園の名前を結構知らない。
ますます、不安とイライラが車中に走る。
今向かっている方向が正しいかどうかさえも解らない。

やっと、調べてもらって場所がわかった。
結局、今走っている道は、正しく、全くロスもない経路だ。
そして私は選択した道に満足し、どうだといわんばかりのお父さん振りを発揮した。

そして、会場に着き、試合となったが、息子は幼年の部に出場し、1回戦しこ突きで敗退した。
さすがに負けたことを咎めはしなかったが、なんと言っていいかわからなかったので、
ひとつだけ言ったのは、「声が小さい、もっと大きな声で!」ということだけであった。
息子は比較的飄々としているので、あまり苦痛な顔はしなかったが、
瞳の奥では寂しそうな気持ちと、そして、受け取りたくないという気持ちが感じられた。

命を燃やして、大きな声を出して、ベストを尽くすということを、なんとか伝えたかったので、
一緒に試合を見ながら、「真剣なまなざしがすきなんだよ。」とか、
「大きな声を出すのは本当に気合が入っているんだ。」とか、
いろいろな伝えたいことをしゃべった。

その中で、同じ道場の女の子が優勝した。
その子は、背が小さいのだが、立ち姿、座っている姿、手刀を見つめる瞳、
全てがスッとしていて素晴らしいのだが、ここまでの努力を感じるとまた感動する。
本当に祝福したいと思った。

さらに、昨日ある場所に忘れ物をしていたので、時間で閉まってはいけないと、
試合が終わるとそそくさと試合会場を後にした。
皆は会場に残ってしゃべったり、遊んだりしているようだ。

書きながらいろいろと自分を振り返ってみた。
そこには、自分の理想とは程遠い自分がいた。

今日はまったく尊敬できていない。
自分の理想に近いものだけ、祝福している

親が子供にこんな風に生きて欲しいというものを提示する権利を持っていたとしても、
否定的な視点で、関わる権利は持っていないはずだ。
胸が痛んだ。

自分の思いではなく、相手の心に矢印を向ける、そして、一体になる。
これが愛だと思った。

ちょっと落ち込んでしまいそうですが、まだまだ成長できることがいっぱいあります。
希望を持って生きて行きたいです。
今日もありがとうございました。

第75号:共に想う。

最近、年初から言っている自分を楽にするという軸を忘れつつある。
とにかく、仕事を入れて、そして、懸命こなそうとしている自分がいる。
それはそれでハッキリとした理由や目的があるのでOKとしよう。
ちょっとブログも遅れ遅れになりつつあるが・・・。

とにかく、行く先々で本当にいろいろな想いや心に触れることができうれしいし、
私としては、お客様、そして、スタッフ、支援機関の方、一人一人を紡ぎ合わせたい。

先日は4人で酒を飲みに行った。
京都に行ったときはちょくちょく飲みに行くのだが、日常生活の中では珍しいことだ。

本当に楽しく、おいしく、そして、暖かく時間をすごす事ができた。

「この時間はどのような物で出来ていたのか?」

  1. 本音とユーモア
  2. お互いへの尊敬と気遣い
  3. おいしいお酒とつまみ
  4. 前向きな気持ちと希望
  5. 味わうということ

具体的には、料理1品1品の素材の新鮮さ、味付けや工夫が素晴らしいし、
特にそばがたまらんかった。
ゴアゴアしたり、ブワブワしたりしない真っ白な細麺のそばであり、
ちょっとだけつゆを付けて食べる。
ちょっとわさびが目と鼻に沁みるけど、ぐっと味わいのど越しを楽しむ。

そばを味わうとの同時に、そこにいる仲間をしっかりと尊敬と祝福で味わう。
どんなことがあっても、たいしたことない。
信頼しあっているから・・・・・。

飲み会の中でも話になったが、いろいろな気持ちを味わうことが大切なんだろう。
おいしいだけでなく、苦さや辛さなど全てを味わうことで、
人生そのものを大きく膨らませることが出来る。

共に選び、生きて行きたいですね。
今日もありがとうございました。