アーカイブ: 2008年2月4日

第32号:合意を創る。

今日は朝起きて久々に良く寝た気分で目が覚めた。
でも、できてないこともいっぱい、これが「自分を楽にする」と、
まったく違う方向へ引っ張る重要なファクターである。

うじうじしていても仕方がないので、“すぱっ”と切り捨てて家を出ることにした。
家を出てからというものは、行く先々で、仲間のいろいろな感情に出会えて、
「へぇ~」とか、「何がおこってんの?」みたいな感じで、楽しいことばかりだった。

もちろん、自分が欲しい答えをいってくれるのは、非常にうれしいんだけど、
そうでなくても、その人の気持ちが一生懸命だったり、前向きだったりすると、
私としては、もっとうれしい。

ただネガティブや、後ろ向きな心に出会うと、ちょっとスイッチが入って、
「何とかしてやろうやないか・・・。」みたいな気分になってしまうことも若干あった。
この状態は自分にとってはあまり良くない。
なぜならば、自分の考え方が全て正しいという前提で話をしてしまうからだ。
たちが悪いことに、「それが正しいというわけではないんだけど・・・。」などと、
前置きを入れ、カモフラージュして伝え、自分の正当性を主張している気がした。
ちょっといやらしい感じ。
この部分は自分の方針とことなり、ぶれている。
要修正。

話は変わって、コンサルティングのプロセスで、合意を得るのは非常に需要である。
なぜ重要かというと、合意が得られていないと、前に進むことができないからである。
何か新しいことをしようとするときなどは、次のようなことが起こる。

  1. 同じ方向を向いていないと力がばらけ、違う方向へアクションが起こる
  2. よく理解していたり、納得していないと行動自体が起きてこない
  3. 後になって、トラブルが起こったり、脱落したりする

「合意を創るために、必要なことは何か?」

  1. 目的やテーマが明確で、それに対してオープンなコミュニケーションがある
  2. 参加者がお互いの感情や思考を理解しようしている
  3. 目的やテーマに対して、合意を創りだして行こうという意思がある

上記のものを持っていれば、“妥協する”とか、”力でねじ伏せる”結論ではなく、
参加者の必要十分な条件をそろえていくことができる。
みんなが満足する結論を手に入れることができる。
みんなが満足する結論であれば、やる気になって、行動が起きる。
目的に向けて、一人一人の意見が尊重されて、共感していくことがやっぱり大事だね。

自分自身の今までの合意形成のプロセスを振り返ってみると、あまりほめられたものではない。
今度、会議の研修の仕事を請けたので、ファシリテーションの基本をしっかりと勉強して、
自分も良いプレイヤーになれるように実践していきたい。

そうすれば、会議の中で自分の意見がまったく受け入れられず、
「自分なんかいなくていい」と思う人をなくしていくことができるし、
仲間とともに目標を達成するための行動や感動を提供することができる。
その中で一緒に熱く語らいながら走っている自分の姿が見える。

よしっ、絶対に手に入れてやろう。
そのためには、もっと具体的なイメージが必要やね。
それはまた、別のときに。

一人より、仲間と一緒に取り組んだほうが楽しいですよね。
再確認できたような気がしたし、少し反省して、行動を変えて行きたいと思った。
今日もありがとうございました。
今後ともどうか一緒にいさせてください。

第31号:生きている実感。

とうとう31号まできて、1ヶ月越えをしようとしている。
3日、3週間、30日の壁を乗り越えて、つぎは3ヶ月の壁に立ち向かおうとしている。

ブログを書き始めてからというもの、自分の心のゆれが小さくなってきたようだ。
色々なことが起こっても、自分の感情を味わい、そして、自分の立つ場所を決める。
つまり、幸せが感じられる場所を、自分で選べるようになってきた。
とっても楽しい。

自分の命が絶えるまで、あと何回ブログを書き、振り返り、自分の気持ちを味わい、
それをこの世の中に伝えていくことができるのだろうか?
できれば、この世の中で少しでも太く長く生きて、感動を創り出し、感じていたいと思う。

今日は朝から県北の商工会に向かい、経営者2人の方と話をし、同行したK氏と語らい、
感動と気づきの多い、素晴らしい一日を過ごした。
帰りの車の中から感じ始めたことだが、むちゃくちゃ疲れている。
が、精神的に疲弊したような疲れではなく、心地よい疲れだ。
2人旅で、自分が運転をしているのに、打合せをしているのに眠たくなる。
ということで、家に帰って子供を抱っこしてから、すぐに横になった。

思いっきり疲れた状態で2時間ほど寝ていただろうか、
おきてからしばらくの間、何か具合がおかしかった。
その状態のまま、節分なので、家族と恵方まきを食べた。
うまかったが、“寝起き”と呼ばれる正常ではない状態であり、
ぼおっとして、生きていることを味わうというより、変なエネルギーの状態だった。

その後、仕事をしながら森高千里さんの曲を聴いていたら、突然、次のような感じがした。

じわっと後ろ頭に何かを感じた。
肩の力が抜けて、鼻の奥のほうや、目の奥のほうで研ぎ澄まされた感じがする。
そして鼻から澄んだいい香りが入ってきて、胸の奥のほうで静かに震える。
この世の中のすべてのものを受け入れ、交信して振るえあっているような気がする。
何も凝り固まったものや、枠が感じられない。

「その感じは、どこから感じているのだろうか?」

その昔、いろいろな出会いや恋愛をし、思いが伝わったり、傷つけあったりしながら、
今ここに自分が立っているという実感からきているような気がする。
そして、その甘酸っぱい過去の経験をもう一度味わうことはできないけど、
そのかすかな香りや感触が記憶のかなたにあり、その一部を味わっている。
帰ってこないけど楽しかった過去を感じ、同時に家族や仲間に囲まれて楽しく過ごす今が幸せだ。
そのすべてを受け入れ感じている。

それから、少しだけ部屋の片付けをした。
過去に書いた自分の日記が出てきたが、読み返してみると、その時感じたことが蘇った。
率直に、自分の成長を感じた。
あるいは、一番思い出したくない人からの手紙を見てみると、
その人の不遇や思いが伝わってきた。
一度会ってみようかという気持ちになった。

全ての生を受けた人が、生きるよろこびを味わってもらえるように。
自分自身のことが好きになってもらえるように。
死に際に、苦痛の涙を流さないように。

すいません。
ちょっと重々しくなってしまいました。
でも私は、自分のことがとっても好きになれそうです。

深く味わうと、心のそこから感じます。
今日もありがとうございます。